山田 そうなのよね。俳優さんもすごい使ってたから。みんな新人の頃に出てるのよね。ビックリしちゃうわね(笑)。新人の売込みは俳優さんが特に多かったけど、そこからみんな立派になりました。江口君なんてやまかつバンドだったからね。ロン毛で。
——江口洋介さんですか。
山田 かっこよかったよ。で、バンドやってたんだけど、お芝居するコーナーに出始めて。そうしたら、芝居がいいのよね。すぐドラマが決まっていなくなっちゃった。あと、織田裕二君とか、柳葉(敏郎)ちゃんとか。女優さんも結構出たね。高岡早紀ちゃんはまだ高校を出たばっかりぐらいじゃないかな。かわいかった。
——すごいメンバーです。
山田 出だしは大江千里と高岡早紀と私の3人で始めたんだけどね。千ちゃんは本当に音楽のセンスがよくて。最初の『やまかつ』の音楽を全部支えてくれましたよね。
そのうちやまかつバンドを組むということになって、江口君みたいな子も入ってきて。高校の文化祭みたいでしたよ。演劇部もあったし、美術部は、城戸真亜子が一生懸命絵を描いてくれて。
座長として共演者に言っていたこと
——KANさんの『愛は勝つ』は国民的大ヒットになりました。
山田 KANはうちの番組で一番ヒットしたんじゃないですかね。子どもたちの投稿から『愛は勝つ』の替え歌が流行っちゃって。「心配ない唐揚げ 君のお餅が」とか。それをネタに分解しながら、本当に唐揚げやお餅を出すコーナーを作ったり。それで「必ず最後に愛は桂三枝 およよ」の時に本物の桂三枝さんが登場する。それだけのために4時間も待っててくれたの。
そうやって、いつもいつも文化祭や遠足、運動会とかのワクワク感でやってましたね。原点はそんな感じでした。
——座長として何か番組メンバーの方たちに言っていたことはありましたか?
山田 ない。とにかく楽しんで。だけど、いつもいつも待たせるんで「ごめんなさいね、ごめんなさいね」って謝ってばっかりいましたね。
——オセロの中島知子さんにインタビューをした時に、邦子さんは前説までされると話していました。
山田 全然そういうこともやりましたよ。だって、自分の時間だし、自分のお客さんだしね。それは全然。共演者に弁当だって配っちゃいますよ。衣装がかかっていれば衣装も運ぶ。仲間だから。空いてる人が何やってもいいんだから。