80年代に一大ムーブメントを巻き起こしたタレントショップ『KUNY』をはじめ、数多くの流行を世に送り出した山田邦子は、芸人であり稀代のクリエイターでもあった。そんな彼女の代表的な冠番組が『やまだかつてないテレビ』。世間に山田邦子を“天下を獲った”と知らしめた『やまかつテレビ』とはどのように作られていたのか。話題となった『水ダウ』の「しんどい先輩」企画にも通じる、山田邦子「陰なき明るさ」の人生論。
『やまかつTV』で意識していたこと
——M-1をきっかけに山田邦子特番がたくさんテレビで放送されました。
山田 まあ、誰だか分からなかったからでしょうね(笑)。だから今、一生懸命いろんな番組が呼んでくれて、「山田邦子はこういう人だ」みたいな。「5分で分かる山田邦子」とかやってくれてる。ありがとうございます。
——その中で、80年代に起こったタレントショップブームを牽引した『KUNY』も登場していました。
山田 私、ディズニーランドみたいなものを作るのが夢だったんです。キャラクターになりたかったの。ディズニーランドのミッキーみたいな。そういうキャラクターになるには、大金持ちになって、その間にキャラクターをしっかり作っておけばと思ってたから、KUNYというキャラができた時はうれしかったなぁ。小さいけど城を持ったんだなって。
——KUNYはミッキーのイメージだったんですね。
山田 そう、ライバルです。
——山田邦子さん初の冠番組だった『やまだかつてないテレビ』は、ディズニーランドのような雰囲気がありました。
山田 番組を作るときはいつもそうだけど、私たちは面白いとか楽しいとか明るいを担当してるんですよね。もしテレビだけがお友達の人……上京したての人とか、病院で見てる人とか、そういう人たちがこのテレビを見れば幸せになれる、テレビがおもちゃ箱のように、スイッチを入れれば楽しい気持ちになれる場所だといいな、ということはいつも考えています。それじゃなきゃやる意味がないから。
ターゲットも決めない。小っちゃい子から、おじいちゃんおばあちゃん、飼ってるペットも見る。居間にテレビが1個の時代に育ったから、そういう「家族全員で」という意識はずっとあったし、今もそうです。
——『やまだかつてないテレビ』もそういう意識で作られた。
山田 そうそう。ありがたかったですよね。まだあの時はバブルだったし、制作費もたくさんあったしね。共演者にも恵まれて。楽しかったですね。