――1回やってみたら、どうでしたか。
クロちゃん 約束通り1発目の仕事だけやってトンズラしようと思ったら、初めて出たお笑いライブの勝ち抜き戦で2位になったり、オーディションにも受かって、テレビ番組への出演が決定しちゃったりして。
『松本紳助』が決め手となり仕事が増加
――引くに引けない状況に。
クロちゃん 今度は、「売れたら好きなことができるから」と説得されました。アイドルになることもできると言われたのが、続けるモチベーションにはなりましたね。
ただ、そもそも僕もHIROくんもお笑いを全然わかっていなかったから、ネタを言うタイミングもわからない。だから団長が3人の真ん中にいて、後ろから団長が僕らをトントンとつついて合図したら、それぞれが喋るというスタイルになりました。でも、『笑っていいとも!』に出た時、団長が緊張していたのか、僕をつつくタイミングがずれたんです。
そうしたら全部の構成がおかしくなって、全然ウケない。以来、仕事が激減しました。僕は仕送りがあったけど、団長とHIROくんは生活が厳しくなるばかりなので、その2人がギブアップするかなと思って待っていたんですけど、どちらも辞めるって言わない(笑)。
そうこうしているうちに、「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞をもらって(2004年)、息を吹き返しました。
最終的な決め手は、『松本紳助』(2000年10月~2006年3月まで日本テレビ系列で放送された、島田紳助と松本人志のトーク番組)ですね。その番組でオモロいって言われてから、仕事がめちゃくちゃ増えました。
僕は「親ガチャ」に成功したレアケース
――そんな芸人人生も、はや20年。時代や出会う人など、自分を「ラッキー」だと思いますか?
クロちゃん 僕は、人とのめぐり合わせにはすごく恵まれていると思います。
僕が全く同じタイミングで100人生まれたとして、100回転生したとしても、今回はレアケース。出会った人たちが良すぎたから、ラッキーでしたね。そうじゃなかったら、僕はとっくに野垂れ死んでいました。まず僕、「親ガチャ」に成功してますしね。
――おお。成功、というと?
クロちゃん 2浪して短大入って、卒業後もずっと仕送りしてくれる家ってなかなかないと思うんです。僕、4年前の42歳まで22年間仕送りがあって、いちばん多い時で月に25万円もらっていましたから。
――そういえば、クロちゃんはすっかりクズキャラ扱いですが、案外“お坊ちゃん”の雰囲気も漂う気がします。借金など、お金に困ったことは……?