実はずいぶん前に中央軒さんを取材した。そのときの話では、出汁もうどんも何もかも同じものを使っているので、味が違うはずがないそうだ。
鳥栖駅の5・6番のりばは佐賀や長崎に向かう特急列車の出発ホーム。特急への乗り換えのわずかな時間でうどんをすするお客が多く、回転が速いことが味にわずかな差を与えているのかも……だとか。
まあ、ほんとうのところはわからないが、こういう伝説があるほどに、中央軒のうどんは鳥栖駅の伝統的なシンボルになっているということだろう。
駅の外に出ると…
さて、ようやく鳥栖駅の外に出る。鳥栖駅の駅舎は1904年に建てられた古い木造だ。建て替えの計画もあったりするようだが、なかなか思うように進んでいないのはこの文化財級の駅舎を保存したいという人の声を無視できないからだろう。
古いだけあって流石にちょっと手狭な感も否めない駅舎の外に出ると、こちらは現代的にキレイに整備された駅前広場。
タクシーが客を待ち、その先にはバス乗り場もあって、周囲にはビジネスホテルがいくつか建ち並ぶ。コンビニもある。人通りも多く、いかにも鳥栖の町のターミナルといった雰囲気だ。
この点、やはり開業12年の新鳥栖駅と比べると、1889年開業の鳥栖駅のほうがまだまだ町の中心としての機能を保っていることがよくわかる。
商業施設に公園、さらには市街地…
駅前広場のすぐ近くには、鳥栖市中央公園とフレスポ鳥栖という商業施設が隣接しており、さらに駅前から西に延びる通り沿いを進んでいくと、飲食店や金融機関などが建ち並ぶ“市街地ゾーン”へ。
大都市の歓楽街のようなイメージとはかけ離れているが、小規模ながらほどよく賑やかな小都市の中心地としては実に充実しているといっていい。
駅前通りの本通町や本町の交差点あたりが、鳥栖でいちばんの市街地の真ん中なのではないかと思う。といっても、クルマ社会の地方都市のこと、実際にはもっと西側を南北に貫く国道34号沿いのほうが賑わっているのかもしれない。
なぜ鳥栖の町に新幹線が停まるようになったのか
ところで、この鳥栖という町はどのような歴史を持っているのだろうか。
全国各地、新幹線の停まる町を見渡してみると、歴史的にみても古くからそれなりに大きな都市であることが多い。
東京・名古屋・新大阪などはもとより、広島も岡山も仙台も盛岡も、もう少しマニアックに一ノ関やら豊橋やら福山やら。
共通しているのは、城下町ということだ。いまの日本の都市の多くは城下町にルーツを持つから、とうぜんのことでもある。