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 駅の東側、つまりサガン鳥栖のスタジアムがそびえるあたりはかつて機関区があった地だ。同様に駅東側にはサンメッセ鳥栖というコンベンションホールや大きな広場があるが、ここも機関区の跡。

 広場の一角には機関区・操車場の跡であることを示す碑も建っているし、かつて鳥栖機関区で働いていた268号機関車も静態保存されている。

 

 さらにスタジアムの南側も線路に沿って機関区は続いていて、ちょうどハローワークのあたりには扇形機関車庫もあった。機関区・操車場は1980年代に廃止されてしまい、その跡地が再開発されてスタジアムやサンメッセなどに生まれ変わったというわけだ。

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歩いていると建設中のアリーナが。これは…

 スタジアム南側の線路沿いは、ハローワークの他に大きなマンションなども建っているが、まだまだ空き地が多くて開発途上といったところ。

 歩いていると、目下完成間近とおぼしきサロンパスアリーナというホールも目に留まる。こちらはバレーボールの久光スプリングスの練習拠点として今年の春にオープン予定なのだとか。

 

 鳥栖の町は、Jリーグにはサガン鳥栖、バレーボールでは久光スプリングスというふたつのスポーツチームを持っている。

 さらに、新鳥栖駅から少し離れた場所には佐賀競馬場もあるなど、あんがいにスポーツの町という側面があるのだ。かつての鉄道の町としての一面はすっかり失われてしまったが、新たにスポーツという町のシンボルを得たといったところだろうか。

 ちなみに、久光スプリングスは久光製薬が運営するチーム。田代宿は古くから薬売りが盛んで、田代の薬売りをルーツに発展したのが久光製薬なのだとか。歴史はいろいろとつながっていまに続いているのである。

なぜ新幹線の停まる「新鳥栖」がこの町にできたのか?

 かつては長崎街道が町の中を貫き、明治以降は機関区が置かれた鉄道の町。博多から南下して熊本・鹿児島方面を目指す筋と、そこから分かれて長崎を目指す筋、そのいずれにおいても鳥栖の町は避けて通れない、そういう存在として歴史を刻んできたのである。

 短い距離でなぜここに?と言いたくなるような新鳥栖駅の存在も、そうした鳥栖の歴史を思えばうなずける。

 マジメに解説してしまえば、新鳥栖駅は西九州新幹線との分岐を考慮して設けられた、という答えになる。が、もう少し情緒的にいうならば、長年九州の鉄道を支えてきた要衝の地であり、その役割を終えてもいまだに発展を止めない町への敬意を表して、といっても良いのではないかと思う。新幹線が停まる町には、それなりのワケがあるものなのだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。