鳥取の田舎から東京大学に進学したものの都会生活にも人生にも戸惑い、自分の感覚に素直に過ごした結果、東大に8年在籍することに。世界を放浪し4か国語を使いこなす著者が送った一風変わった経験をまとめた『東大8年生 自分時間の歩き方』(徳間書店)より一部抜粋。

 メキシコでタコス屋になった日々をお送りする。(全2回の1回目/つづきを読む)

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メキシコで働いていたタコス屋のルーティーン

 夕方5時が近づくと、肉の香りが染み付いたジーンズを履き、同じくすっかり香ばしくなったキャップを被り、エプロンを握りしめて家を出る。

 

 通りに出て近くの角を曲がり、1ブロック先の交差点の一角に佇む、ボックス型に畳まれた白い屋台までたどり着くと、持っていた鍵で開錠し、順番に屋台を組み立てていく。

 無事に屋台の形が整ったら、今度は、その中にしまっておいた洗剤と布とブラシで全体をきれいにする。そうこうしていると、やがて向こうのほうから赤と白の、使い込まれたステーションワゴンがやってくるのが見える。

 運転席には店主のレオ、助手席にはその日のシフトに入っている仲間のスタッフ、後ろには調理器具やテーブルセット、ガスボンベなどさまざまな商売道具のほか、その日の食材や提供する飲み物が大量に積み込まれている。こうして人数がそろったところで、開店準備は加速する。

 屋根代わりのビニールシートの取り付けに客席や鉄板の設置、肉やトルティージャ、玉ねぎやパクチーの準備など、やることは多い。

 屋台に明かりが灯り、肉の香りが漂い始めると、常連客の何人かはすでに着席して、ニコニコしながら僕らの働く様子を眺めている。ちょこちょこ雑談も入る。

 準備も終盤になると、手の空いたスタッフが最初の注文を確認し、すっかり温まった鉄板で肉を焼き、最初のひと皿を提供する。

 こうして明確に何時ともなく、自然と店がオープンし、そこから夜中の1時前後、遅いときには2時過ぎごろまで営業が続く。それからまた片付けを行い、屋台を閉じて施錠すると、染み付いた肉の香りがさらに濃厚になったエプロンを片手に帰宅し、シャワーを浴びて眠りにつく。

 2010年、僕は25歳で、大学7年目の夏だった。メキシコで暮らしていた僕の、これが毎日のルーティーンだった。

実際に住んでみたメキシコの治安の悪さ

 このとき、僕はメキシコシティの南方に住んでいた。もともとは留学先でもあったメキシコ国立自治大学前の駅から、バスで10分ほどの距離に位置する、住宅や個人商店、そして市場が立ち並ぶ下町のようなエリアの一角で、路上の屋台タコス店の一員として生活していた。