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 そういう例を普段からよく見かけていたこともあり、いま突然目の前に現れ、そして同じように突然いなくなった「花贈りおじさん」の一連の振る舞いは、あまりにも衝撃的なものだった。その場にいた僕ら全員、いわゆる狐につままれたような表情でしばらく呆気にとられていた。やがて、ハッと目が覚めたように、花束を受け取った友人が言った。

「ちょっと待って、私、あのおじさんと記念に写真撮りたい!」

あわててさっきの彼を追いかけると…

 それはそうだ。こんなこと、どんな人の人生にだってそうそう起こることではない。その場でスペイン語が話せるのは僕だけだったので、ここはためらわず走って追いかけることにした。

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 やがて、数百メートル先、屋台が立ち並ぶ一角におじさんを見つけることができた。知り合いと思しき人と立ち話に興じていたところだった。僕は気にせず声をかけた。

「ああ、さっきの君か」

 という感じの穏やかで温かい微笑を向けてくれた彼に、僕は息を切らしながら友人のリクエストを伝えた。旅の出会いの記念に写真1枚撮るだけだ。当然、快諾してくれるだろうと思っていた。ところが何と、彼は即座に断ってきた。そこからは押し問答だ。

「いやいや、必要ないよ」

「いやいや、彼女自身がぜひってお願いしてるんですよ!」

「いや、必要ないよ。僕はただ花を贈りたかっただけだし、喜んでほしかっただけなんだ。だから、僕と写真を撮る必要はない」

「いや、お願いしますよ! 彼女は初めてメキシコに来て、こうして、いまあなたから素晴らしい贈り物をいただいて、その特別な瞬間を写真に残したいって言ってるんです。おじさんのこと忘れたくないんですよ!!」

押し問答の末に……

 僕があくまで引き下がらずにいると、やがて観念したように「わかった」と言ってくれた。そして、傍にいた立ち話の相手を指すと、

「彼との話が終わったらすぐ行く。君は先に戻ってそう伝えてくれ。すぐ行くから」

 と続けた。本当はその場で腕を引っ張ってでも連れていきたかったけれど、さすがにそれ以上は押し通せない雰囲気があったので、

「必ずですよ。必ず来てくださいね。来るんですよね?」

 と念を押して、友人達の待つ屋台に戻った。

 結果は、おそらくみなさんご想像のとおりだ。結局、彼は現れなかった。

 花束は相手の関心を引くためでなく、あくまで純粋な好意と祝福を贈るため。そこに己の姿や記憶が残ることは、いっさい望まなかったのだ。どんな文句もつけようがない、本物の紳士だった。

 あの日、僕自身は花束をもらったわけではないけれど、彼の一連の振る舞いを通じて、自分まで贈り物を受け取った気分になった。

 その贈り物を、いまこの話を読んでくださっているみなさんとも、分かち合えていれば嬉しい。メキシコでの日々のなかで経験した、いくつかの美しい瞬間の1つだった。

東大8年生 自分時間の歩き方

タカサカモト

徳間書店

2023年3月1日 発売