落語家も師弟制度で成り立っている。俺も昭和62年、三遊亭圓丈に入門した。それからさまざまな師弟関係を見てきたが、この本で描かれるそれは全く別物である。想像していた伝統職人の世界が今こんなに違うのかと驚いた。たとえば刀匠。それこそ一子相伝の厳しい世界だと思っていた。だから弟子入りしたきっかけが、「『アド街ック天国』を見てかっこいいな、と思ったから」だなんて、おいおい、日本刀なめてんのかよ、と言いたくなる。もっとも、かくいう俺も落語に興味がなく、偶然テレビで見た圓丈の弟子になった口で、偉そうなことは言えない。
きっかけは何であれ、縁があってその仕事に導かれる。だから辛い修業にも耐えられる。刀匠に入門したお弟子さんがさらっと言う。
「刀の世界では(無給は)当たり前。夜、コンビニでバイトしているので、大丈夫です」
え、お金もらえないの? それを当たり前と言えるのが凄い。文化財修理装潢師(そうこうし)のお弟子さんは、紙の表面の1ミリ以下の黒い繊維をピンセットでつまみ除去する仕事を、朝から夕方まで黙々とやり遂げる。俺、絶対無理です。彼に仕事の醍醐味はと聞くと、
「前の時代の人たちが大切に伝えてくれた作品を、次の世代に、でしゃばらずに手渡す行為だということ、ですね」
俺が、俺が、と売れたい落語家に聞かせたいよ。
この書評を頼んで来た編集者さんが、「落語はまさに師から弟子に受け継がれる芸能だと思っております」と言ったが、それこそ幻想。師匠の芸なんか受け継げるものか。俺の中では古今亭志ん朝師匠が名人だと思っている。でも志ん朝師匠の芸は志ん朝師匠が死んだら終わり。誰も受け継ぐことができないから名人なの。師匠圓丈の芸を俺は何も受け継いでない。受け継いでるのは、「一人で戦え。媚びるな」というポリシーだけだ。
ここに書いてあるお弟子さん達は皆、自分の仕事が後世に残ることを誇りにしている。そして師匠は後継者の少なくなった伝統の技を、的確に弟子に伝え残そうとする。そこにはかつての理不尽な小言は無い。
今、落語家は東京だけで800人以上いる。落語が将来消えるなんて誰も思ってない。落語が受けなくても、「今の客はわからねえんだよ」とボヤいて終わり。楽屋で俺が先輩に言われたのは、くだらないね、笑わせれば良いってもんじゃない、あんなのは落語じゃねえ。新作落語を否定する言葉ばかり。古典落語の伝統を守るのが落語家の役目なんだと。
でもこの本に出てくる師匠はみんな危機感を抱いている。硯(すずり)職人の師匠が弟子に温和な目を向ける。村をあげての生業が、君が来てくれたおかげで途絶えずに済む、何でも教えるさ――。
なんて素敵な思いだろう。手を取り合って先に進もうとする師弟関係。落語家の師匠は絶対言わないね。
いのうえりつこ/1955年、奈良県生まれ。ライター。人物ルポ、旅、酒場、現代社会の性や死など幅広いテーマを取材・執筆している。著書に、『ぶらり大阪 味な店めぐり』『絶滅危惧個人商店』『親を送る』『葬送の仕事師たち』『さいごの色街 飛田』など。
さんゆうていはくちょう/1963年、新潟県生まれ。落語家。2001年真打に昇進、05年彩の国落語大賞受賞。絵本など著書多数。