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「これが試験のプレッシャーなのか…」プロ棋士になるため会社員をやめた小山怜央さんが感じた“あと1勝”の重み

「これが試験のプレッシャーなのか…」プロ棋士になるため会社員をやめた小山怜央さんが感じた“あと1勝”の重み

小山怜央新四段インタビュー #4

2023/03/28
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 試験前に公開した小山怜央さんのインタビューをお読みいただければ分かるように、小山さんは高2の終わりに東日本大震災の津波で自宅を流された。避難所の高校の体育館と仮設住宅で暮らした1年の間も「眠れなくなるようなこともなく」将棋を続け、それまで通り大会に出場して何度も岩手県代表を勝ち取り、受験勉強もして公立大学に現役合格している。不安で何も手に着かなくてもおかしくない状況で将棋に打ち込み続けた人だ。

「それまでの人生で不安にさいなまれることはなかった気がします。この試験は勝つか負けるかで人生がまったく変わってしまう。これが試験のプレッシャーなのだと。アマでも全国大会とかプレッシャーを感じることはあったけれど、それとは全然違うものでした」

人生をかけたプロ編入試験での対局 写真提供:日本将棋連盟

夢をかなえるために安定した収入を捨てた

 大きな夢を叶えようとするとき、引き換えに何かを捨てないといけないことはある。小山さんの場合、それは安定した収入の会社員の仕事だった。

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 捨てたところで夢はかなうか分からない。不合格だったときの生活が不安になるのは「自分の収入で生計を立てなければ」と考える真面目さゆえだろう。人生をかけた勝負と言うのは簡単だけれど、不安な気持ちになんとか折り合いをつけ、勉強に集中しなければ勝利は見えない苦しいものだった。

 これまでに棋士になった者のほぼ全員が経験した棋士養成機関の奨励会では、年齢制限が迫る不安や辛さがよく語られる。小山さんは奨励会を経験しない戦後初めての棋士となった。でも、不安も苦しみも奨励会とは少し違う形ではあっても乗り越えてきたと言っていい。

「会社を辞めなければ編入試験の資格を得て合格することはできなかったというのは、絶対にそうだと思います。単純に将棋の勉強の時間を大幅に増やすことができましたし。これから編入試験を受けたい人に相談されたら、本気のアドバイスとして『仕事をやめるべき』とは言えません。やめたら合格できるという保証はないから。自分でもよく、退職の決断をしたなと今にして思います」

©佐藤亘/文藝春秋

 決して無鉄砲な挑戦ではなかった。

「会社員時代、大きな買い物はしなかったし、無駄遣いしないようにしていました。パチンコもしません。お酒は誘われたら飲むけれど1人で飲んだりしないですね。その時は貯金が増えていくのも嬉しくて」

 丸3年システムエンジニアとして働いた会社を「プロ棋士になりたいから」と27歳で退職したときには、30歳までに棋士編入試験を受けるという目標まで「将棋中心にしながら少し働けば、暮らしていけるくらいの貯金」があった。元奨励会員で将棋教室を経営する甲斐日向さんからの声かけによって、週に十数時間のオンラインでの将棋講師というちょうどいい仕事もできた。

 そして、「相手がどんな戦型でも戦えるように自分の戦型の幅を広げる」という棋力向上の目標も、退職後に始めたAI研究と月に10回ほどのペースでやっていた対アマ強豪や奨励会員との研究会を重ねることにより「ある程度、成果が上がっていた」と振り返る。