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――お父さんは、平野さんの舞台はご覧になられたんですか?

平野 『レ・ミゼラブル』も『レディ・ベス』も観てもらうことはできませんでした。ただ、父は私が仕事を頑張っている姿が大好きで、すごく応援してくれていました。「綾は考えなしに行動することはなく、すごく熟考して、自分の中で答えを出すから、自分を信じて。自分が“これ”と思ったことは、全部やりなさい」と言ってくれて、最後まで「頑張れ」と後押ししてくれました。私のことをいちばん信じてくれたのは父ですね。

公演の間に亡くなった父、悔しさばかりの初演…「何もかも勉強し直すんだ」

――お父様が亡くなられたのは、『レディ・ベス』の公演中だったそうですね。

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平野 東京公演と大阪公演のあいだに亡くなりました。

『レディ・ベス』という物語は、ヘンリー8世とエリザベス1世(レディ・ベス)の関係が随所に出てくる話なので、劇中に父親のことをすごく歌うんですよ。父を超えられるような人になりたくて、父に憧れて……。当時の自分の心境と物語が重なって、泣いて歌えなくなるのをぐっと堪えていました。

――つらい時期でしたね。

平野 この『レディ・ベス』は、3年後(=2017年)に再演することが決まって、初演のときには全然準備ができず、そのときに自分が持っているものでやるしかなかったので、悔しい思いしか残りませんでした。

 初めての主演で悔しい思いしか残らないなんて、最悪です。だから、それから3年間は「やれることはすべてやろう」と決意しました。何もかも勉強し直すんだ、と。

 

「あっ、デンデだ!」ニューヨークの語学学校でバレて…

〈自身の力不足を痛感したという初主演舞台。『涼宮ハルヒの憂鬱』で声優として大ブレイクした頃も感じた“インプットの必要性”を感じていた彼女は、時間をかけて仕事を調整しながら、学び直しに備えていった。そして2016年、海を渡る。〉

――その後、2016年5月から9月までの約4カ月間、ニューヨークに短期留学しました。

平野 語学の勉強と、歌のレッスンが目的でした。

――もともと英語の勉強はしていたのですか?

平野 やっていました。アニメのイベントで海外に呼ばれることもあるし、ミュージカルで海外のクリエイティブチームとやり取りする際にも必要になります。その際には通訳がつきますけど、ちょっとしたニュアンスとか、直接やり取りできると違いますから。それから留学直前にはいわゆる「駅前留学」に通ったり、元々数年前からイギリス英語の教室にも通っていたので、日本での準備は万端のつもりでした。

 

 でも、いざニューヨークに行ってみると、最初はまったく会話ができませんでした。相手の話すスピードは速いし、なによりニューヨークには人種が多すぎて、それぞれルーツの違う訛りを持っているから、慣れるまで本当にたいへんでした。耳は割と早く慣れたんですけど、しゃべるのはなかなかテンポについていけなかったです。

――語学学校ではどんなことがありましたか?