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栗山監督は精神的に追い詰められた選手とどう向き合っていた…? 日ハム監督時代から変わらない“コミュニケーションの信念”

栗山監督は精神的に追い詰められた選手とどう向き合っていた…? 日ハム監督時代から変わらない“コミュニケーションの信念”

『栗山ノート』より #4

2023/03/31
note

すべての選手が「強者」ではない

 監督になってからの私は、もう一歩進んで「正しい」ことに疑問を持ち始めています。正しいと言われていることほど、実は正しくないのかもしれない。反対意見が多いもののほうが、違った解決策として有効かもしれない。正しいことを知りたくて勉強をしてきましたが、2019年現在の私は、何が正しいのかを知るためではなく「もっといい方法はないのかな」というスタンスで学ぶようにしています。

 プロ野球は強者が集まる世界です。強者とは文字どおり「強い者」であり、「つわもの」でもある。大打者の、名投手の意見には重みがあり、聞き手を従わせる強さがあります。

 ただ、それがすべての選手に当てはまるかと言えば、必ずしもそうではない。

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 江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉は「松のことは松に習え。竹のことは竹に習え」と言っています。知ったかぶりをしてはいけない、ということなのでしょう。自分を見失いがちなとき、決断に迷うとき、チームの結果が出ていないとき、私は荻生徂徠の言葉を思い返します。

深沈厚重

 中国の儒学者である呂新吾が、名著『呻吟語』で語っています。頭が切れて雄弁であるよりも、無口でどっしりと落ち着いている人のほうがいい、と。

 日本人の男性の評価として、古くから当てはまる人物像ではないでしょうか。私自身は無口でいられるタイプではないので、かなりかけ離れていますが……。

 自分の評価、評判、噂などを気にすると、人間は集中力を欠いてしまいます。プロ野球選手ならば、メディアの批判に一喜一憂する選手は、プレーに波があります。自分の進むべき道を、ひたむきに真っ直ぐ歩いている選手が成功をつかんでいる。

©文藝春秋

 私たちが生きる世界は、SNSで誰とでも気軽につながることができます。一見するととてもオープンな交流が広がっているように感じられますが、他人からどのように見られているのかを気にしている人が多いのかもしれません。自分の投稿に対する「いいね」の数が少ないと、ふさぎがちになってしまう人もいるとか。

 他人の評価や視線を気にするな、とは言いません。上司や友だちに認めてもらいたいという承認欲求は、誰の心のなかにもあるものでしょう。

 そのうえで言えば、誰かからもらえる「いいね」を気にするのは、本当に大切なのでしょうか? SNS上の「いいね」が、あなたの心を豊かにしてくれるのでしょうか?