WBC日本代表を率いて、3大会ぶり3度目の優勝を果たした栗山英樹監督。同氏は現役時代に野村克也監督(当時)から、チームづくりの要諦について“ある話”を聞いていたのだという。

 名将が、未来の名将に向けて伝えていたメッセージとは。栗山氏が北海道日本ハムファイターズ監督時代に著した『栗山ノート』(光文社)の一部を抜粋し、紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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天真

 森信三先生の『修身教授録』のなかに、「天真」という言葉が出てきます。

 国語辞典による「天真」は自然のままで飾り気のないことで、「天真爛漫」も同じような意味です。森先生の考える「天真」を私なりに解釈すれば、「天」から授かった心のなかの「真」を、どうやって開発していくのか、表現をしていくのか、ということだと思います。

 自分の心に宿る「天真」を自覚すれば、誰に対しても優しく、丁寧に接することができる。相手に良くなってほしいという思いが、「相手に嫌われたくない」との思いを打ち負かしていきます。

「明徳」も同じような意味を持っています。誰もが生まれながらに持っている正しく公明な徳を、他者のために使い切る。自分の最善を他者に尽くし切るのが「明徳」であり、思いやりの心を育んでいくことなのでしょう。

 ヤクルトスワローズでの現役最後のシーズンに、私は野村克也監督のもとでプレーしました。選手としても監督としても成功を収めた野村監督は、「エースと4番だけは出会いなんだ」と話していました。

©文藝春秋

 監督という立場になったいまなら、発言の意味が理解できます。いいピッチャーやいいバッターは育てることができるけれど、誰もが認める投打の「柱」は育てるのが難しい。チームメイトやファンに「彼が打たれたならしょうがない」と思わせるピッチャー、「彼が打てないで負けたら納得するしかない」と思わせるバッターは、生まれ持った才能を絶えず磨き上げた選ばれし存在です。

 中田翔との出会いは僥倖でした。彼の打撃練習を初めて見た私は、電流に打たれたかのような衝撃を受けました。スケールが違う。モノが違う。球界を代表するバッターになる。「出会った」のです。

 彼にはずっと4番を任せてきました。「翔が打てなくて負けるなら、それはもう自分の責任だ」と思ってきました。言葉は交わさなくとも、彼は私の思いを分かってくれている。私もまた、シーズンを重ねるごとに高まる彼の自覚や責任感を受け止めてきました。

 2012年の監督就任から、一度だけ代打を送ったことがあります。