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「いまなら、発言の意味が理解できます」栗山英樹監督が野村克也から伝えられていた“チームづくりの本質”

「いまなら、発言の意味が理解できます」栗山英樹監督が野村克也から伝えられていた“チームづくりの本質”

『栗山ノート』より #6

2023/04/07
note

結果が正解になる

 今度は8回裏でノーアウト一、三塁だとしましょう。

 攻撃側はバッターが内野ゴロを打っても、三塁ランナーを走らせるのがセオリーです。守備側はファーストかサードにゴロを打たせて、三塁ランナーをホームで殺したい。それができなければ、ゲッツー狙いに切り替える。

 ここで、ゲッツーが取れなかったらどうなるか。守備側は1アウトを取ったものの、1点を許したうえに一塁にランナーを残してしまう。それならば、三塁ランナーを確実に殺して失点を防ぎ、1アウト一、二塁からゲッツーを狙ってもいいかもしれない。

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 三塁ランナーを生還させないために、守備側はどうしたらいいのか。ピッチャーゴロを打たせて、三塁ランナーをけん制してセカンドへ送球してアウトをひとつ取り、本塁へ突入してきた三塁ランナーを刺す――。

 ひとつの状況でも攻めかた、守りかたは何通りもあります。

 あらかじめ答えは分からない。結果が正解になる。

©文藝春秋

 だから野球は面白いし、難しい。僕にできるのは「野球には答えがない」という前提に立って、知識に寄りかからないことです。

 答えがあると決めつけると、コーチ陣の声に耳を貸さなくなってしまいます。「この場面はこうだな」と僕が方針を固めていたら、コーチが「こうじゃないですか」と言ってくれても「そうか、そういうやりかたもあるな」とは考えない。聞いているふりをしているだけで、単線的なロジックに陥ります。議論になりません。

 人間は話したがりだと思います。物静かなタイプの人だって、自分の意見を聞いてほしいものでしょう。

 人の話を聞くことは、気づきにつながる。頭のなかに浮かんでいた疑問符が、誰かの助言によって感嘆符に変わることがあります。「自ら気づき、自ら克服した事柄のみが真に自己の力となる」わけですが、周囲の意見を取り入れることは否定されるものではないでしょう。

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