「お前を信頼している。お前で勝負してダメなら納得できる」
4番の重責を背負いながら戦う男の苦悩や葛藤に触れた私は、それでも「お前を信頼している。お前で勝負してダメなら納得できる」と伝えました。彼の心に、いま届かなくてもいい。いつか心に染み込む日があるはずと信じて、言葉をつなぎました。
このシーズン、ファイターズは日本一となり、中田は自身2度目の打点王に輝きました。彼もまた、「天真」を自覚して野球に取り組んだのでしょう。
人間は自ら気づき、自ら克服した事柄のみが真に自己の力となる
森信三先生の言葉です。知識と経験は違う「知行合一」の考えかたと同じで、自分で考えて、自分で問題にぶつかって、失敗もして、自分で解決したものでなければ、本質には辿り着けないということでしょう。
監督としての私も、失敗を重ねることで知識を増やしていきました。
たとえば、1点リードされている8回裏に、1アウト一、三塁のチャンスを作り出したとします。
同じイニングに同じ状況を迎えたことは、それ以前に何度もあります。けれど、相手のピッチャーも、こちらのバッターも違います。終盤の好機では代走を使うことが増えますが、塁上のランナーもいつも同じではない。状況は同じでも細かな設定は異なり、その時々で違う判断を下していく必要があります。野球は本当に生き物です。
監督就任1年目は、この場面での判断材料が3つでした。気になることが3つ、と言っていいかもしれません。
監督として経験を積んでいくと、8回裏の1アウト一、三塁の設定に何度も遭遇していきます。そうすると、判断材料が5つ、8つ、10個と増えていく。
判断材料が増えるということは、言い方を変えれば細かいところまで目が行き届いているということです。悪いわけではありません。
ただ、ほんの数秒の間に多くのものを掛け合わせたり、天秤にかけたりしてジャッジするのは、率直に言って非常に難しい。最適解に向かって一直線につながる手がかりなどまずないので、小さな手がかりを1本ずつ記憶に縫い込んでいくしかないのです。
その結果として、自分に分からないことが増えているとの思いが増し、監督としての能力のなさを痛感させられる日々です。机上でどれほど知識を増やしても、実戦では値打ちがありません。