山本 はい。2歳のときに乳児院から児童養護施設に移ったんですが、父が養子縁組を願い出たそうなんです。そのため、職員さんが父に「一度も面会に来られてませんよね」とお話をしてくださって。「最後になってもいいから、顔を見に来てあげたらどうですか」と。
――お父様は来られたのですか。
山本 面会に来たようなんですが、私の顔を見て、あまりにも自分に似ているので「俺の子だ」と確信したらしく。そこで父が「養子縁組ではなく、自分の子として施設で育てて欲しい」と施設側にお願いしたと聞いています。
――お母様は一度も会いに来ませんでしたか?
山本 父が言うには、一度だけ来たそうです。「ガラス越しにお前を見に来たけど、すごく興味がなさそうだった」と聞きました。親権の裁判の際には母が来なかったため、父に親権が渡った感じですね。
「家庭的養護」の児童養護施設で、家族のように育ててもらった
――山本さんが育った児童養護施設は、どのようなところでしたか。
山本 アットホームな雰囲気でした。「家庭的養護」と言うのですが、少人数で一軒家に住み、私たちの場合は子供6人に対して職員さんが3人という形でした。
私はキティちゃんが好きだったのですが、乳児院から児童養護施設に移る際、キティちゃんの枕やコップを用意してくれているような優しい職員さんたちで。「家族のような関係性」を大事にしていて、私が入ったあと、下の子たちが新しく入ってくるときは「●●君が来るよ、楽しみだね」みたいに一丸となってというか、本当に新しい家族が増えるような感じでしたね。
今の時代では考えられないんですけど、職員さんが3人でローテーションを組んで、一度の勤務につき24時間態勢で家にいてくれるような状態で。
――職員の方々が熱心だったのですね。
山本 実質、夜の22時から朝の6時までは「勤務外」という計算でやりくりをしていたらしいですね。職員さんたちも「子供たちとの信頼関係を大切にするために、あまり職員を代えたくない」という気持ちで頑張ってくれていたそうです。
だから10年間は子供も職員さんもメンバーが変わらず、本当の家族のように育ててもらったと思っています。卒園して11年が経ちますが、今でも同じ家で育ったお姉さんたちとは、多くて月に一度、少なくとも3か月に一度は会うような関係性です。
――当時の職員の方々とも会ったりされるのでしょうか。