「なんで生まれてきたんだろう」と考えるようになってしまった
――孤独を感じたことをきっかけに、いろんな思いがこみ上げた、ということでしょうか。
山本 周りの子は家に帰って当たり前に「ただいま」「おかえり」というやりとりが家族とできて、家に明かりがついていて、ご飯があって、お風呂に入ることができるのに、どうして私には何もないんだろう、と。
そうするとやはり、お父さんとお母さんのことを考えてしまって「私の何がいけなかったんだろう」「可愛くなかったのかなぁ」「なんで生まれてきたんだろう」という思考にどんどんつながってしまうんですよね。
生活をするにも経済的な後ろ盾はありませんし、常に何かに追い詰められている感覚もあった。「施設育ち」と明かした時に、世間が「可哀想」と反応するのは、こういうことかと気付いて、絶望しました。
――そうした生きづらさを感じたときに、どのように気持ちを落ち着かせたのですか。
山本 保育の学校で「生い立ちの整理の重要性」を習ったのがきっかけでした。社会福祉協議会で、生い立ちの整理の本が出ていて。それを高校3年生くらいのときにもらって読んでいたのを思い出したんです。
「私たちはコップの水がみんなよりもたくさん入っていて、ちょっとしたことでもそれが溢れてしまう。でも、溢れ出したものを整理していくことで、またちゃんと生きていけるようになる」みたいな漫画が描かれているんですね。
私がどうして絶望しても死を選ばなかったのかというと、理由は育ての親である施設の職員さんの存在でした。今私が死んでしまったら、みんなが「自分たちのせいであの子は死んだ」と思うんじゃないかって。だから「私にとって大切な人たちが生きている限りは、這いつくばってでも絶対に生きなきゃいけない」と思ったんです。
――「生い立ちの整理」はどのように行ったのですか。
山本 過去に関わってくれた人に会いに行って話を聞くのを繰り返したんです。だいたい、1年間で20人くらいに会いました。小学生時代の友達から施設の職員さんまで。過去の話をいろいろして。
それではっきりと思えたのは、私はたくさんの人たちに支えられて、愛されて生きてきたんだ、と。
――そう思えたのは、人生においてとても重要なことかもしれませんね。
山本 ただ、私が今関わっている子たちのなかには環境に恵まれなかったケースも多く、生い立ちの整理をしてもかえってすごく苦しくなってしまうんじゃないかと感じています。
自分が虐待された経験を持っているだけではなく、施設であまりいい待遇を受けられなかったり、一時保護所で罵声を浴びせられたりした子も普通にいます。そうした経験があると、たとえ素敵な人に出会えたとしても信頼関係を築けなかったり、なかなか難しいなと思います。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋
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