児童養護施設出身者に振袖を着る機会を提供するボランティア団体「ACHAプロジェクト」の運営や、被虐待経験者などへの支援活動を行う、山本昌子さん(30)。

 山本さんは、自身も生後4か月で乳児院に保護され、2歳から児童養護施設で育った「ケアリーバー(社会的な保護から離れた子どもや若者)」だ。そんな彼女に、どのような施設で育ったのか、卒園後に直面した“問題”、児童養護施設が抱える課題などについて、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く

山本昌子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

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親からのネグレクトが理由で、生後4か月のときに保護される

――山本さんが乳児院に入るまでの経緯を教えてください。

山本昌子さん(以下、山本) 生後4か月のとき、親からのネグレクト(育児放棄)が理由で、乳児院に保護されるに至りました。

 母親が私を残して家を出て行って、それにもかかわらず父親は私を放置していたらしくて。父の姉が心配して見に来てくれたときには、かなり衰弱していて。救急車で病院に運ばれたとき、医者から「あと1~2時間遅ければ死んでいた」と言われたそうです。

――それで保護されたんですね。

山本 はい。父と母は年齢が20歳も離れていて、私が生まれたとき、父は47歳でした。結婚後は父の実家で暮らしていたのですが、そこは由緒ある家柄で。しかも長男だったんですね。なので「男は家を守る」という家父長制的な考え方も強く、育児や家事は母にすべて任せていたようです。

 年齢が離れていることを理由に、同居している父のきょうだいたちも結婚に反対していたらしく、母は家でいじめを受けていたと聞きました。そんな環境のせいか、母は私を産んだあと、おそらく産後うつになってしまい、家を出たみたいです。

 

――乳児院で保護されたあと、お母様とお父様は会いに来ましたか?

山本 いいえ、一度も。父は、母の不倫を疑っていたようです。きっかけは母が付けていた日記に男性の名前が書かれていたことだったのですが、父のきょうだいたちが「不倫してるんじゃないか。47歳で子供なんかできるわけないから、あんたの子供じゃないよ」と唆されたみたいで。それであっさりと「この子は俺の子じゃないんだ」と思ってしまったそうです。

――そのお話は、お父様から聞いたのですか?