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――それは「児童養護施設を卒園してからもその子の面倒を見たい」という希望からでしょうか。

山本 そうです。「卒園した後もずっとその子を見ていたいから」と仕事を辞めて、別の仕事を始める方もいらっしゃいます。つまり、それだけの気持ちがあっても現実問題として、施設の職員を続けながらではアフターケアにまで関わるのが難しいということです。

 子供にとっても、関係性が出来上がっていなければ、困ったことがあったときに「アフターケア専門の知らない職員さん」に連絡しようとは思いません。形式上アフターケアを行う部署を作ったとしても、実際には機能していない、というのが現状です。

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「死にたくて仕方がなかった」18歳の卒園後に襲った“孤独感”

――卒園後、突然社会の中に放り出されて「1人で生きていく」というのはとても難しい話ですよね。山本さんが18歳で施設を卒園されたときは、どういう生活を送られていましたか?

山本 孤独感が強すぎるあまり、死にたくて仕方がなかったですね。私は施設での生活が大好きで、十分幸せだったから「ここで終わってもいいんじゃないか」と思ってしまって。

 もともと、児童養護施設の職員になりたくて保育の専門学校に行きたかったんです。もう合格もしていて、学費は父が出してくれて一緒に住むことになっていたんですが、卒園後に突然「お金も出せないし、一緒に住めない」と言い出して。

 それから、施設の職員さんと一緒に自立援助ホーム(子どもたちに暮らしの場を与える施設)を探して、そこで生活しながらアルバイトをして1年間で学費の100万円を貯めました。

――やはり18歳の身には負担も大きく、辛かったのでは。

山本 そうですね。あまりにも心が施設に引きずられるものだから、つらすぎて施設のお姉さんたちや職員さんとの連絡を取るのもやめてしまったんです。

 SNSなんかにも「死にたい」と書いたりしていました。でも、当時アルバイトをしていた居酒屋では、とても親切な人たちに恵まれて。店長が「俺が怒られても、お前の夢を叶えてやりたい」と給料を高くしてくれたりして。もちろん、めちゃくちゃ働いていたから、というのもありますけれど。なので、そういう環境に恵まれていたのはとても大きかったと思います。

 

――保育の専門学校には入られたのですか?

山本 はい。ただ、学校に入ったら入ったで、今度は自立援助ホームが嫌になってしまって。そこを飛び出して、ひとり暮らしを始めてしまったんです。自立援助ホーム自体が悪い場所だというわけではなかったのですが。

 単に、私にとってはすごく施設を思い出してしまう場所だったし、縛られている感覚が嫌で仕方なかったんです。これまで一緒に生活してきたお姉さんたちや職員さんたちも、そこにはいないし。