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「高校1校受けたけど落ちちゃった」

 モデルになりたいと思ったのは、資生堂のCMに出ていたモデルの山口小夜子の美しさに圧倒されたからだった。三井のリハウスのCMの翌年、1988年には映画『ぼくらの七日間戦争』に主演、公開されるや大ヒットとなり、日本アカデミー賞新人俳優賞も受賞した。それでも本人は俳優になるつもりはなく、モデルを続けるつもりでいたと、上述のインタビューでは語っている。

 だが、別の記事(石井妙子「宮沢りえ『彷徨える平成の女神』」、『文藝春秋』2019年5月号)では、『ぼくらの七日間戦争』の監督である菅原浩志がこんな証言をしている。映画公開後、年が明けてまもなくして、彼女は菅原のもとへやって来て、「高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります」と宣言したというのだ。受験失敗はあくまで口実で、心のなかでは演技への関心がしだいに強くなっていたのかもしれない。菅原は映画に抜擢した責任感から、女優になるのは高校に入ってからでもいいじゃないかと説得したが、彼女の決意は固かったという。

『ぼくらの七日間戦争』(1988年公開)

 こうして1989年の春、中学を卒業して本格的な芸能界デビューをすると、ドラマや映画のほか、バラエティでコントを披露したり、歌手としてCDをリリースしたりと幅広い活躍を見せ、一躍トップアイドルとなる。1991年には、前衛的な作風で知られた勅使河原宏監督の映画『豪姫』に主演した。

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 同年のインタビューで、この映画の出演時を振り返り、《そのときなぜかとてもすんなりできちゃったんです。豪姫ってお姫さまのこと、台本読んだらすごくわかったような気がして。いつもはお芝居しようとか、セリフ覚えなきゃとか、そういう気持のほうが先行しちゃうんだけど、そのときは、そんなふうにはならなかった。生まれて初めてお芝居しなかったお仕事というか》と語っているのが(『広告批評』1991年12月号)、その後の役者としての片鱗をうかがわせる。

©文藝春秋

写真集『Santa Fe』でヌードになったわけ

 篠山紀信撮影によるヌード写真集『Santa Fe』を発表したのは、まさにこの年だった。11月の発売を前に新聞の全面広告で告知されるや、トップアイドルが脱いだと一大センセーションを巻き起こす。発売当時の篠山との対談では、撮影にいたる心境の変化として、その年の初めぐらいに大河ドラマ『太平記』や『豪姫』に出てから、芝居に対する取り組み方が変わり、長く残る作品をつくりたいと思う気持ちが強くなっていたことを挙げている(『文藝春秋』1991年12月号)。