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バッシングへの反論を思いとどまらせた人物

 じつは、反論したいという彼女を思いとどまらせたのは、マネージャー兼プロデューサー的存在だった母親の光子さん(2014年に死去)であったと、のちに作家・瀬戸内寂聴との対談で告白している。「やるべきことをやり続けていたら、いつかそれが反論になる」と母から説得されたときには、まだ若かったこともあり納得できなかった彼女だが、その後、《“演じる”という自分のするべきことを誠実に続けてきたことで、母の言うある意味の「反論」はできたのかもしれません》という(瀬戸内寂聴『寂庵コレクションVol.2 あなたは、大丈夫』光文社、2020年)。

 母の言葉を守って演技に真摯に取り組むにしたがい、俳優としての評価は着実に高まっていった。ドラマでは杉田成道や久世光彦、舞台では唐十郎、蜷川幸雄、野田秀樹など、すぐれた演出家・劇作家との出会いにも恵まれ、おおいに鍛えられた。映画でも『たそがれ清兵衛』や『父と暮せば』などで好演し、さまざまな賞に輝く。

©文藝春秋

 舞台に本格的に携わるようになったのは30代に入ってからで、このとき「40歳にちゃんと舞台に立っていられる人になろう」と決め、映像の仕事はちょっと休んで、舞台出演はすべて引き受けるようにした。

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急な代役を見事にこなした「伝説の舞台」

 まさに40歳になった2013年、役者としての力量を試されるような出来事があった。三谷幸喜作・演出の舞台『おのれナポレオン』で、ヒロイン役の天海祐希が本番直前に病気で降板したため、急遽、主演の野田秀樹を通じて代役を依頼され、引き受けたのだ。わずか2日間の稽古で初日を迎え、膨大なセリフのある役を見事演じきり、終演後には観客から5分間にわたり総立ちの拍手喝采を送られた。

 ただ、このとき、演劇界での恩人のひとりである蜷川幸雄には「あなたがいま負うべき責任ではない。それにともなうリスクをちゃんと考えたのか?」と止められた。そう言われて、宮沢は自分が代役を果たせなかったときのことなどまったく考えていなかったと思いいたる。しかし、その上で「もう決めてしまいました」と伝えると、蜷川は、何かにつけて火中の栗を拾いたがる彼女の性分を知ってか、「じゃあ、誰よりも応援してます」と後押ししてくれたという(『SWITCH』2015年10月号)。