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50歳を超えての入社だった

 小森は当時、ライオンズマンションのブランドで知られる大京の事業部長。大京はわたしの古巣の会社で、小森は2年後輩にあたる。ただし、わたしは営業担当、小森はマンション用地を仕入れる事業部だったため、交流はなかった。社内の人間にも評判を聞いたうえ、受け入れることを決意したのだった。

 とはいえ小森は年齢が50歳を超えていた。かたやプレサンスの仕入れ部門の幹部はみな30代半ばである。その部下にするわけにもいかないし、小森を部長にして同列に位置づけた場合、反発が出る可能性も考えた。それでわざわざ小森のためにプレサンスリアルエステートという子会社を設立し、社長に据えたのである。プレサンスの用地マンにはないノウハウを注入してもらいたいと考えていた。

 ところが入社してからまったく実績がついてこない。

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 高野を筆頭に、ほかの3人の仕入れ担当幹部は毎月、数件の案件を成約させていたのだが、小森だけは鳴かず飛ばず。

 しまいには、

「あのオッサン、なんであんなに仕事でけへんねん」

「あれが大京の仕入れの部長かいな」

 というような陰口が、わたしの耳にまで届くようになってくる。

手を組んだ女性が問題だった

「おまえ、あんな若いヤツらにバカにされて恥ずかしないんか。負けんようにがんばれ」

 と叱咤激励することもあった。もちろん、当時はまだ彼に期待をしていた。

 小森だって、この時点で会社に迷惑をかけようなどとは毛頭思っておらず、ただただ成果を挙げたい一心で動いていたものと思われる。

 ただし一緒に組んだ人物が問題だった。その名は佐橋久美子。のちに明浄学院の理事長に就任する女性だった。

※写真はイメージです ©iStock.com

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 年が明けて2016年1月のこと。わたしは自分の頭を整理しようと、小森ら仕入れ部門の幹部を呼んで、報告させた。

 当時のプレサンスは年間、約100案件ほどの物件を成約していた。契約に至らないまでも、検討対象になる土地建物はだいたい500くらいである。自分の頭のなかを整理したかったのだった。

 順次、手持ち案件の進捗状況を尋ねる。

 小森の番になった。