「私は、こんな美少女を見つけたことを、思わず誰かに言いたくなってしまいました」
当時「順子」の常連客の1人に角川春樹(当時角川書店社長、現・角川春樹事務所代表)がいた。1970年代、『犬神家の一族』や『人間の証明』といった角川映画を大ヒットさせていた春樹は、「順子」を夜の事務所代わりにして、連日のように森村誠一(作家)や岡田茉莉子(女優)、ジョー山中(歌手)といったメンバーと映画に関する打ち合わせを行っていた。
「春樹さんがお店に来るようになったきっかけは、当時在籍していたチコちゃんという女の子が角川文庫の大ファンだったことから、春樹さんが彼女のことを気に入って、通っていただけるようになったのです」(順子ママ)
「ママ、この写真、ちょっと貸してもらえないかな」
順子ママは、入手したばかりの「美少女写真」を手に取ると、春樹氏に手渡した。
「ねえねえ春樹さん。ウチのタカギ君が、こんなかわいい女の子を見つけてきたんですよ」
すると、店内に一瞬の静寂が訪れた。賑やかに談笑していた春樹氏が、沈黙して写真を凝視している。そして真顔でこう言った。
「ママ、この写真、ちょっと貸してもらえないかな。どこの子なんだろう」
順子ママが振り返る。
「内心、しまったと思いましたが、いまさらダメですとも言えませんでした。青山で撮影したと正直に伝えると、春樹さんは急に仕事人の顔に戻っていきましたね」
その写真には、日ごろ女優に囲まれている映画人をも沈黙させる力が宿っていた。
その後、薬師丸ひろ子は1977(昭和52)年に行われた角川映画『野生の証明』のヒロイン役オーディションにて優勝し、翌年公開された同映画で高倉健との共演を果たした。この映画は角川映画として初めて邦画興行収入ランキング1位となり、薬師丸は一躍、スターダムを駆け上がることになる。
その後も『翔んだカップル』(1980年)、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『探偵物語』(1983年)の大ヒットにより、シンデレラ・ガールは角川映画のエース女優としての地位を確立していくことになった。