ところが網走はちょっと違いました。部長さんが「風呂場、見ましょか!」言うた途端、いきなりその扉を開けてひとこと「ここは他所と風呂の形違いますねん。半円形でしょ。そんでここにおる者、全員暴力団員ですわ。みんな紋々入れてますやろ!」。確かに目の前の浴槽は田舎のひなびた旅館の風呂場のようでした。
入口から手前が浴槽で、奥に洗い場がありました。そして全身アート系の人ばかり、喜んでいいのか、得したのか、よくわからんようになりましたが、ここは「何でもネタ」という大阪人根性で記憶に残しました。
「囚人道路」という名前の由来
また、肉牛の世話をしている二見ヶ岡農場(網走刑務所にある、全国唯一の肉牛の育成を行う施設。繁殖から出荷までの一貫生産を行っている。常時100頭前後を飼育していて、A5ランクの「網走監獄和牛」も多数輩出している)もこの日、連れて行ってもらいました。この刑務所の特徴は土地柄もあり、作業を酪農業に特化させているところです。
移動中の車中で農場の話など色々と話を聞きましたが、その道中に使った道こそが「囚人道路」とも呼ばれたところでありました。江戸幕府が欧米諸国と国交を開始した頃、日本は西欧の列強諸国に追いつき追い越せと富国強兵政策のド真ん中、ロシアの脅威から「蝦夷地」を守るため、1869年、明治政府は「蝦夷地」を「北海道」と改名して道内に開拓使を置き、まず手始めに道路を建設することから開拓をはじめました。それが囚人たちの労働によって作られたものなので「囚人道路」という名が残っているのです。
因みに、本物の「網走刑務所」の入口に掛けられてある木製の看板は、過去2、3度盗まれたことがあるそうです。
確かに記念になる土産でしょうが、窃盗はあきません。捕まったら網走刑務所に入ってもらいましょう——とは言え、看板泥棒がバレて刑務所の職員に現行犯逮捕されたとしても、まず警察や検察のお世話にもなってから行き先が決まりますので、自らが選んでは入れないのが「網走刑務所」になります。