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先輩に呼び出され「お前、調子乗ってるな」

ーーでもその頃、つらい目にもあったとか。

杉本 準グランプリになったあと、オーディションを薦めてくれたテニス部の先輩から音楽室に呼び出されて「お前、調子乗ってるな」と言われて。向こうは数人で私は一人で呼び出される時点で何を言われるかわかってましたけど、それでもウソだろとは思いました(苦笑)。

 でも東京での撮影が終わったら、竹下通りや109でモデル仲間と遊んだり。「ピチレモン」は楽しかったです。

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©平松市聖/文藝春秋

ーー“は”というとそこから楽しくなくなる?

杉本 「ピチレモン」を中学で卒業して、新しくできたピチレモンのお姉さん雑誌「ファプリ」に移籍して、大沢あかねさんたちと3人で最初の号の表紙をやりました。その後は「JJbis」「JJ」のモデルになりました。

「JJbis」は周りが大学生の読者モデルだったので大丈夫だったんですけど、「JJ」は厳しかったですね。求められるものが全然違う。歴史があって、 出たくても出られない子たちも多い雑誌だったし、とにかく怖かったです。

「JJ」の最初の撮影で、私のラックからその日撮影するはずだった服がなくなったんですよ。「あの子できないから、この撮る予定だった洋服はもう他の子に振り分ける」って。直接は言われないんですけど、ラックから服が消えているのに気づいちゃって...。それで体も固まっちゃって、撮影も全然うまくできなかった。ファッション誌はてきぱき働いている女性が多いから、余計に怖かったです。

ーー同時期の2006年には「三愛水着イメージガール」にも選ばれています。まだ高校生になったばかりでしたが、非常に大人っぽかったのが印象的でした。

杉本 「三愛水着イメージガール」はすごく大きいポスターになるので、グアムに1週間ぐらい行って撮影したんですが、水着のポージングは、それまでの洋服でのポージングと違って大変で、うまくできなくて毎日ホテルで泣いてました。

 カメラマンが関西の方で撮影中も「全然ちゃう」「あかん、全然あかん」とダメ出しされて、だんだん萎縮しちゃって...。ホテルはマネージャーさんと同室だったんですけど、夜帰るとバスルームにこもって「もう行きたくないです」となっちゃって。

©平松市聖/文藝春秋

 でもその怖いカメラマンさんがオーディションで、一番私を推してくれてた人だったんです。最終候補に何人か残っていた中で「この子は絶対に今、選ばないと損する」って言ってくださったとマネージャーさんから聞いて。たしかに言われたことも納得できるし、自分ができてないのもわかってたので、そこからは切り替えて頑張りました。