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最初の写真集は出版社同士で取り合いに

ーー「三愛水着イメージガール」は水着のモデルですけど、グラビアに抵抗は?

杉本 三愛はモデル色が強かったですし、抵抗はなかったです。グラビアについても服をよく見せるモデルと違い、自分自身を見せるので、楽しいなと思ったんです。「三愛水着イメージガール」になってからグラビアのオファーが増えていきました。高校生の頃は主に「ヤングサンデー」でグラビアをしていて、2週連続で表紙にもなりました。

©平松市聖/文藝春秋

ーー当時はSNSは今ほど盛んではなかったですが、グラビアでの反響は感じていましたか。

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杉本 一番最初の写真集「うち」は19歳で出したんですが、ファースト写真集をどこの出版社で出すか取り合いだったらしく、なかなか決まらなかったみたいです。書店での発売イベントには1000人ぐらい来たそうなんですが、それがすごいことかもわからなくて。写真集をお渡しする人の多さに「えっ、まだ人来るんだ」と、とにかく目が回ってどっと疲れたことを覚えてます(笑)。

ーーすごい人気。当時はかなり忙しかったのではないですか?

杉本 ファースト写真集の撮影の時にはニュージーランドに2週間行っていたんですが、滞在の前半は写真集、後半はヘアメイクさんは一緒で、カメラマンの方が替わって別の撮影をしてました。その撮影の間にDVDの撮影のオファーが来て、マネージャーさんが手配して日本に戻ってきた次の日には沖縄に飛んでました(笑)。

 ファースト写真集の時には「炎神戦隊ゴーオンジャー」の出演が決まっていたので、その撮影に入る前にどこも撮りたくて、 DVDももうそこしか時間がないということで入れたんだと思います。

©平松市聖/文藝春秋

ーー女優としても高校卒業して上京するとすぐにドラマでのヒロイン役も決まったそうですね。すごい。

杉本 決まりましたね(笑)。お芝居のレッスンも受けたことがなかったんですが、事務所の人に「こういう漫画の原作があって、ヒロインの話が来てる」って言われたのが「BOYSエステ」でした。相手役の中村蒼くんもいて、そこで2人でオーディションをした記憶があります。

 私も蒼くんもあまり演技をやった経験がなくて、その初々しさが良かったのかもしれません。撮影現場では周りの人に迷惑かけないように、とにかく必死でしたね。