営業帰りに先輩から言われたのは…
「言っとくけど枕とかはしてないから」
帰りの車に乗り込むと、開口一番そう言われた。聞き慣れたハスキーボイスで。
「ただ、いい顔して煽てて気分よくさせてるだけだから」
「そうなんですね」
「でさ、三上はいつ辞めるの」
「……え?」
「いつ辞めるの?」
遠回しに目障りだから辞めてくれという意味なのだろうか……。これを告げたいけれど、オフィスでは告げられないから私を同行に誘ったんだろうか。
「辞めない……です」
「嘘。じゃあ5年、10年、15年、この仕事したい?」
長くいたら、いた分だけ心臓に毛が生えてフサフサになるか、壊れるかの二択だ。まだ1年も勤務していない私だけれどそれはわかる。有村さん(編集部注:筆者と同じ保険会社に勤務して2年目の新人)の叫び声、ルミさん(編集部注:筆者と同じ保険会社に勤務するオフィスのムードメーカー)の9000円の給与明細、今はまだ他人事だけれど、すぐに自分事になる。わかっている。
「辞めるなら早いほうがいいよ。やり直しが利く、いくらでも」
「でも私、せめて3年は」
「ここでやっていけるのは生活のために自分を殺せる人間か、この仕事を楽しいと思える化物だけ。あんたどっちでもないじゃない。自分でもわかってるでしょ」
私は営業に向いていない。グイグイ行くよりも、「あんまり営業したら迷惑になっちゃうかな」と、どうしても引いてしまう。ほかの先輩のように、熱があっても、台風が来ようとも、身を削ってアポに行くようなガッツもない。でも3年以内は辞めてはいけない。三年神話は絶対だ。……転職をいずれするにしても、3年経たずに辞めたらどこの会社にも採用してもらえないかもしれない。不採用続きの就活のことを思い出す。だからせめて3年は、心臓に育毛剤をぶちまけてここで働くしかない。それにお客様への責任もある。いつも定期訪問に伺うと、「また保険屋さん変わったの? コロコロ変わってわけわかんない」と言われる。「お客様の人生に寄り添う」を謳っているのに、コロコロ担当が変わっては申し訳ない気がした。
「もう少しここでがんばります」
「ふぅん、そう。三上って想像以上にバカなんだね」