1ページ目から読む
3/5ページ目

 まるでスナックやキャバクラ。どちらも行ったことはないけれど、なんとなくイメージ。全面的に男性をいい気分にさせることだけに、女性が心を殺して煽てる空間。

「あれ、その子は? 娘ちゃん?」

「ううん。オフィスの新人さん。お勉強で一緒に回ってるの」

ADVERTISEMENT

「へぇ、ふぅん。若いねぇ。いいねぇ」

 ねっとりとした品定めの目を頭の先から足先まで向けられる。

いまだに「生保レディ」と呼ばれる私たち

 私が女であることにまちがいはないし、マサ(編集部注:筆者の小学校の同級生。戸籍はまだ女性だが心は男性)のように心と肉体の性別にズレがあるわけではないけれど。でも、こうして女であることを生々しく見られる場面は、営業という仕事をしていると多々あり、特に年配の男性と接するときに、「女性」として品定めされることは避けては通れない。営業だから当然身なりは整える。自分らしさよりも、女性らしさが求められる。そのたびに女であることが嫌になる、別に男性になりたいわけではないけれど。

 性別というフィルターを外して、人間として見てもらえないのが不愉快だ、屈辱的でもある。

「看護婦」が「看護師」に、「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」に、性別による呼称の呪縛が解かれつつあるのに、いまだに「生保レディ」と呼ばれる私たち。

 上条マスターとお客様を回るとき、男性のお客様はマスターの美貌に鼻の下を伸ばす。女性であることを最大限利用して営業する人も少なからずいるだろう。「優しくしてくれたのがうれしくて」と本気で先輩社員に惚れてしまった独身男性のお客様が、毎週のようにオフィスにお花やブランド物バッグや香水を送ってきていて、オフィス長も頭を抱えている。「生保レディ」なんて呼ばれ方をしている限り、私たちはいつまでたっても性別のフィルターを外した一人の人間として見てもらえないかもしれない。

「こんなピチピチの子に来られたら、俺もう1つ保険に入っちゃおうかな」

 固まってしまう私。けれど緒方さんは、「やぁだ、私もピチピチよ」と笑ってみせた。零れんばかりの大振りな2つの乳房がタユンとまるで音を立てるように揺れる。年齢を重ねているせいか、子どもを産んだからなのか、弾力があるように見えてどこかしんなりとしていた。