「こんな地獄にしがみつかなくても生きていく道がいくらでもあるんじゃないの?」
「……お、緒方さんは辞めたいって思うことあるんですか」
「そんなの毎日」
「毎日?」
「24時間365日」
チラリと胸元を見る。ブラウスのボタンはきちんと留められていた。
「でも定年までは、やる。もしかしたら東雲千恵子みたいに定年すぎても居座るかもしんない」
「辞めたいのに……どうしてですか」
「私シングルマザーだし、子ども、障がいがあんの。大学も出てないし、正社員でいい会社は、高卒と大卒なら大卒を選ぶから雇ってもらえない。夜職やると子どもとの時間がとれない。風俗なんてやりたくない。だからここにしがみつくしかないの、自分を殺してでもね。ノルマ達成して、できるだけ多くの金を稼いで生きていくしか道がない。子どもに不自由はさせたくないし」
信号待ちで緒方さんは煙草に火をつける。
「ちなみに旦那はいないよ。妊娠したってわかったらいなくなった。男なんてそんなもん。自分が一滴出して気持ちよくなることしか考えてない。その場限りの生き物……ってガキにゃ、刺激が強すぎるか」
ふぅと煙を吐く。信号が変わりハンドルを握る。
「私は子どもに苦労させたくないし、産んだことも後悔したくないから、ここで死に物狂いでやっていくけど、あんたはちがうでしょう。まだ若くて、大学も出ていて、未婚で子どもがいるわけでもない。こんな地獄にしがみつかなくても生きていく道がいくらでもあるんじゃないの?」
「それは……」
「ほら、オフィス着いたよ。次のアポあるから、あんただけ降りて」
オフィスのルールであるガソリン代の200円も受け取らず、「私があんたに話があっただけだから」と車を走らせて行った。辞めるのを促すために同行に誘ってくれたんだ。私、そんなに辛そうにしているだろうか? 辞めたい? 今一度自分に聞く。確かに成績もノルマも怖いけれど、辞めることも恐怖。緒方さんは辞めるべきだと諭してくれたけれど、私はおそらく辞められない。