「来るの? 来ないの?」
と、有無を言わさぬ圧に、「い、行きます!」と答えた。オフィス中が、「あの緒方さんが……新人をつれて……同行……」と、物珍しそうな眼を向けている。正直ビビッていた。きっと、オフィスでは言いづらいようなお説教を食らうんだと思った。だから、緒方さんの軽自動車の助手席に腰を下ろしたときには、もう張り裂けそうな、心臓……。
「そんな固くなんないで」
「あ、いえでも」
「今日は、ただの契約のお礼だから。あんたはなんにもしなくていいから」
車の中は、ところどころにアニメ柄の文房具や手提げといった、お子さんの物が散らばっていて、家で子どもに向ける母親としての一面があるんだなぁと思うと不思議だった。エンジンがかけられ、車が動き出す。何も話すことはない。ボリュームマックスのLUNA SEAの「ROSIER」が流れているだけだ。着いたのは郊外にある小さな団地だった。
胸の谷間をのぞかせ媚びた声で「これ契約のお礼のバスタオル。あとこれは、わ・た・し・か・ら」
「なんにもしなくていいよ」
そう一言残して車を降りる緒方さんのあとを追い、団地の階段を4階まで上る。
「おお~、緒方ちゃぁん。今日もベッピンさんだなぁ」
インターホンを押した部屋から出てきたのは、酔っ払いおじさん。この仕事をしていると、もれなくセクハラ親父の客に出くわす。働き始めて1、2か月はどこに行くのもマスターがついて来てくれたけれど、今はもう契約を頂くような重要なアポ以外は、一人で行くことも多い。
しかし、独身の一人暮らしの男性の家に行くときは、やはり少し身構える。すべてがすべてヤバい人ではないけれど、以前、50代独身のゴミ屋敷に住む一人暮らしの男性に、「ねぇ、枕営業ってあるの」と聞かれたときには、鳥肌が立ったし、怖かった。そのときは定期点検だけおこなってすぐ出てきた。保険屋の女性が、お客様宅で性被害を受けたなんてニュースも聞く。
私たちの足元は原則ヒールと決まっているから、もし危険な事態に陥っても全速力で逃げられない。
クールな緒方さんはこういうお客さんをどうかわすのだろう。
「んもう! 相変わらずうまいんだからぁ。なんにも出ないわよう」
と、オフィスでは絶対に出さないような……媚びた声を上げた。え? これってあのクールな緒方さん? よく見ると、ブラウスのボタンが大胆に3つも空いて、胸の谷間が覗いている。
巨乳、だ。ホルスタイン……という単語が思わず浮かぶ。モウ。
「これ契約のお礼のバスタオル。あとこれは、わ・た・し・か・ら」
ねっとりとした声色で、ハピ郎が描かれた大きな箱と、三越の小さな紙袋を手渡すと、男は鼻の下を伸ばして、顔を赤らめた。目線はもちろん……言わずもがな。
「俺のことドキドキさせて、ぽっくり逝かす気だなぁ」
「やぁだ。そんなことしないわよ。だって、私が死亡保険金の受取人ってわけじゃないんだし」
「それもそうだなぁ。じゃあ、ちがう意味でイカせてくれたりしてなぁ。ガハハ」
「もう、なに言ってんのよう」