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そのとき現場で何が起きたか

〈クルマ4台が爆発炎上、ドライバー2名が死亡〉「ようするに勘がはたらいた」レース史上最悪の事故を生きのびた当事者が語る、命を救った“思いつき”

〈クルマ4台が爆発炎上、ドライバー2名が死亡〉「ようするに勘がはたらいた」レース史上最悪の事故を生きのびた当事者が語る、命を救った“思いつき”

『炎上 1974年富士・史上最大のレース事故』#1

2023/05/03
note

白いクルマがスピンしながら、こっちに来るのが見えた

 その言葉を言霊(ことだま)のように思い出した漆原徳光は、スタート直後に、全開にしていたアクセルペダルを半分もどした。

「田中健二郎さんと森下春一さんからいただいた、抑えなさいという言葉の意味がとっさにわかった。あのおふたりは、こういう瞬間のために、ああいう言葉をかけてくださったのだと思った。そういう言葉をかけてくれたおふたりに、心配していただいてありがたいと、あとでつくづく思いましたね。

 だから私は、ただちにアクセルペダルをハーフにしてスタートの加速をやめた。どーんとまわりに抜かれたが、これでいいと安心できた。つぎの周にピットインしちゃおうと思った。どうせビリなのですからね。

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 そうしてスローダウンしたら、北野さんの白いクルマがカウルをはね上げ、スピンしながら、こっちへ来るのが見えた。それがなぜ見えたかは、理由がわからない。コースのど真ん中にいて、ビリになっているから、北野さんと黒沢選手の接触は見えていない。

 だが不思議なことに北野さんのクルマの動きは、全部わかった。ビルから飛び降り自殺するときに1秒間に一生のことがわかるという、ああいうような能力じゃないかと思う。

 私はブレーキングしながら右に逃げた。ところが逃げれば逃げるほど、そこに北野さんのクルマが寄ってきちゃう運のわるさだった。あれならば右に逃げずに、真っ直ぐ走っていたほうがよかった」

マシンと激突、頭を打ち付け……

 ブレーキングしながら右にハンドルを切った漆原の目の前に、北野の白いマシンが流れ飛んできた、というシーンである。衝突を回避できるものなら、そうしたいのは当然だが、不可能であった。

「北野さんのクルマの右側にぶつかって、そのまま乗り上げてしまった。激突のショックで私のマシンの前部が破壊され、ハンドルのセンターに頭を打ちつけた。

 ジェット戦闘機のパイロットがするようなシートベルトをしているから私の身体はシートに完全に固定されているはずなのに、そういうことが発生した。マシンのフロントが大破して、ハンドルなどがドライバーのほうへ押し出されたからでしょう。激しい衝撃があると身体の関節が伸びるという話も聞いたことがある。だから身体を完全に固定していても、頭がハンドルのセンターに当たってしまうのかもしれない。