家広 江戸時代のまま将軍家が続いているような豪華さの裏で、すごく質素で地味な生活を過ごしていたらしいです。17代当主・家正の三女である保科順子さんが毎日新聞社から『花葵―徳川邸おもいで話』という本を出しているんですが、帯に書かれたコピーは「広大な邸の、質素な暮らし」というものでした(笑)。
ベトナム出身の妻は日々驚き
――家広さんは幼少期を米ニューヨークで過ごし、おじいさんはシンガポールで銀行マンをしていたそうで、「意外とグローバルなお家なんだ!」と驚きました。
家広 徳川家康は中国の進んだ文化を取り入れようと、漢文の古典を活版印刷したりしていました。印刷が必要な漢文を読める人口がおらず、あまり盛り上がらずに終わったらしいですが(笑)、現代で例えるならば、社内公用語を英語にするような思い切った動きです。だから徳川家は最初からグローバルなんですよ。
――奥様はベトナム出身で、結婚を決意したときはご家族の猛反対があったと聞きました。
家広 猛反対というほどではなく、実際は「びっくりされた」くらいでしたよ。国際結婚となると、どんなお家でも家族はまず驚くものだと思います。両親も妻に会ったら、「いい子だね」と納得してくれました。
――奥様は、「自分の夫は特殊な家の生まれらしい」というのをどのタイミングで知ったんでしょうか?
家広 知るというか、理解する、でしょうか。ただ、説明はわりと大雑把だったので。妻は日々衝撃を受けているらしく、私は叱られっぱなしです(笑)。
私自身も儀式には少々後ろ向きではありました。関係者の皆さまをまとめてお呼びして代替わりのご挨拶をしようとしたら、なんだか大事になってしまったというのが正直なところです。服装はスーツでいいかと思っていたら、気づけば衣冠束帯という話になりかけ、それも変だというので、現代日本で最高の礼装であるモーニングの着用となりました。
ニュースに取り上げられるというのも、てっきりローカルニュースのつもりでいたら全国版で驚きました。『どうする家康』が放送され家康ブームなんて言われている最中に当主を継いだので、私自身も右往左往しています。
――まさに「どうする家広」ですね。
家広 そうそう、そうなんです(笑)。
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