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「過去に間違いのない人などいない」オバマ元大統領が「行き過ぎたキャンセルカルチャー」を危惧する理由

『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』 #2

2023/04/23

source : 文春新書

genre : ライフ, ライフスタイル, 医療, 社会, メディア

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 だから「相手に敬意を払って気遣うことが大事。判断を急いではいけないし、すべてを白黒はっきりさせなければいけないわけでもない」と、性急な判断の前に立ち止まって考えることの大切さを若者に対して政治イベントで語っていました。

謝罪や発言の取り消しが「目的化」することも

 行き過ぎたキャンセルカルチャーによって、必要な議論から焦点がずれてしまうこともあります。例えば、差別的な発言をした人を罰することを「正義」と感じた集団のエネルギーが攻撃的になり、相手に謝罪や発言の取り消しを求めることがいつしか目的化してしまう。その中で差別的な発言の何が問題だったのか、差別のベースとなる無意識の偏見に気付くためにはどのような努力が必要なのか、同じような差別が起こらないように社会として何を進めるべきなのかといった本来必要な議論が置いてきぼりになることもあります。

言い争いによって、差別解消というゴールが忘れさられる場合も。写真はイメージです ©getty

 あるいは、些細な発言の言葉尻を捉えられて攻撃され、本来世の中のためにと努力を尽くしている人の成果が全否定される様子を目にした人たちが、「問題発言を指摘する」こと全般に嫌気がさし、「もう疲れた」と議論自体がされなくなってしまうこともあります。

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 行き過ぎたキャンセルカルチャーには問題を感じますが、その逆の例として、「これくらい、昔は許された発言だった」と失言の問題点を認識も反省もせずに受け流すというパターンにも賛成できません。また、ネット上で批判をしてはいけないという考えにも反対です。自分の大切にしている考えを揶揄されたときには、相手の発言の問題点を指摘することは重要で、そのようなコメントも「キャンセル」とまとめて扱われてはならないと思います。

 許容するのでなく、罰するのでもなく、昔の作品や発言の差別的表現を過ちとして認識し、それを議論のきっかけにした上で、さらに表象を多元的に変化させていくという未来へ繋がる道が広く開かれる方法の一例が、ディズニーのステートメントにありました。

 20世紀半ばに作られたディズニー映画の『わんわん物語』にはアジア人を見下す表象があります。

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