文春オンライン

山はおそろしい

《いい話》「やってきた登山客は、12人の少年院の子どもたち」時には入れ墨が見えたことも…山小屋の女主人がそれを「人生最高の思い出」と振り返るワケ

《いい話》「やってきた登山客は、12人の少年院の子どもたち」時には入れ墨が見えたことも…山小屋の女主人がそれを「人生最高の思い出」と振り返るワケ

『山小屋主人の炉端話』 #1

2023/05/02

genre : ライフ, 社会

note

 ほとんどの子供は鹿児島だとか北海道だとか親元を離れ、遠いところから来ていることがわかった。関東近県の子供はひとりもいなかった。可哀想に思ったが、子供たちは、「おばさん、山っていいなぁ、気持ちがすっきりするよ」とか「今度出たら彼女を連れてくるよ、それまで元気でいてくれよ」などと生意気な口をきいたりした。

「これからも真面目にやれば、彼女はできるよ。今度彼女と来たときは声をかけておくれ、歓迎するよ」といった。

「だれを表彰するんですか」

 少年院の一行が来るようになって5年目のときだった。子供たちとともに少年院の院長が来たことがあった。いつものようにうどんを食べ終えると、その院長が立ち上がり、これから表彰式をさせてくださいという。

ADVERTISEMENT

「だれを表彰するんですか」と訊くと、「勝俣さんです。今までうちの子供たちがお世話になったのでお礼をさせてください」という。

「あらま、何でこの私が……」といっていると、額に入った立派な賞状をみんなの前で読んだ。そして、感謝状を渡しながら院長がいった。

「今まで来た子供たちが作文などに野外実習で何がよかったかというと、山もいいけれど、金時山に登って食べたうどんが美味しかったと書くんです。早く卒業して本当の自由のなかで食べたいと夢を語るんです。これもひとえに勝俣さんのお陰です」

 私は感謝状をありがたくちょうだいした。刑務官ばかりでなく、子供たちまで立ち上がって私に「ありがとうございます」と拍手をしてくれる。私はしばらく涙が止まらなかった。

 今でも忘れられない、いい思い出である。35年も女だてらに茶屋をやってきて、主人に死なれたり、転んでけがをしたりとつらいことばかりだったが、あのときほど茶屋をやってきてよかったと思ったことはなかった。今でもあの子たちの笑顔が目に浮かぶ。あの日、子供たちは、山頂から長尾峠を目指して下っていくときに頭を下げてくれた。

「頑張ってよ、負けないんだよ」と私は手を振りながらいった。みんないい顔をしていた。

 今頃、みんなはどうしているのだろう。便りはなく訪ねてきてくれる人もいないけれど、少なくともこの山に来た子供たちはどこかでまじめに働いているだろう。私は今でも信じてやまない。

勝俣睦枝 1927年、静岡県深良村(現・裾野市)に生まれる。はじめは専業主婦だったが、37歳の頃から嫁ぎ先で経営していた金時山山頂にある金太郎茶屋を手伝うようになる。以来、金時山の麓、仙石原にある自宅から病気やけがのとき以外、冬でも毎日登り、茶屋を守った。

ヤマケイ文庫 定本 山小屋主人の炉端話

ヤマケイ文庫 定本 山小屋主人の炉端話

工藤 隆雄

山と渓谷社

2020年11月14日 発売

《いい話》「やってきた登山客は、12人の少年院の子どもたち」時には入れ墨が見えたことも…山小屋の女主人がそれを「人生最高の思い出」と振り返るワケ

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー