当然、それまでの騒ぎはピタリと収まった。向こうのイビキが聞こえるということは、おれたちの騒ぎも筒抜けということだ。
やられると思ったね、全員。山小屋に死体がるいるいと転がっている惨状が脳裏をよぎったものさ。あの冷たくて重い時間は今でも思い出すと怖い。まるで蛇ににらまれたカエルだ。
たぶん30秒くらいのものだったけれど、10分もの長い空白に感じられた。だれかが飲んだ生唾の音も聞こえたほどだ。
「ふっ……、ここじゃやかましくて寝られやしねえ。上の小屋にでも行って寝らぁ」
そいつは少し笑ったようにそういうと、土で汚れた白い靴を履いた。しばらく土間に立っていて何かいいたそうだったが、やがて戸に手をかけた。
「か、懐中電灯はあるのかね」
おれがそういうと、男は一瞬立ち止まった。でも、すぐに振り返りもせずに後ろ手に戸を閉めて出ていった。後ろ姿が寂しそうだったな。
たぶん、それから頂上に向かって頂上の避難小屋で寝たと思うけれど、その後どうなったかはわからない。噂も聞かなかった。
それにしても奴は場違いなところに来たと思ったろうな。明るく健康的に騒いでいる山小屋に突然、爬虫類の目をしたヤクザだもの。結局は山小屋の雰囲気にいたたまれなくなって出ていってしまったんだろうな。今頃どこで何をしているのやら。今にして思うと、酒でも飲ませてやればよかったのかと思ったりするよ。
もうひとりの怖い奴
そうだ、酒といえば、もうひとり怖い奴を思い出した。やはり爬虫類のような目をした奴がいたっけ。
地元の警察官で、ときどき遊びに来ていたから顔は知っていた。だから小屋で警官仲間と宴会をやりたいからいいかと聞かれたので、いいといったんだ。すると、しばらくして約束どおり10人ほどでやってきた。みんなにらみのきいた男ばかりで、やってきた登山者に「組の宴会ですか」と聞かれたほどだ。おれは冗談に、小声で「そうだ」といったら、また来ますって帰ってしまったよ。おかげで一般の登山者はほとんど泊まらなかったね。
そのうち困った問題が起きたんだ。そいつ、酒癖が悪いのか大声を上げたり、おれに無理矢理酒を飲ませようとしたりするんだ。そればかりかそいつはおれより年が若いのに呼び捨てにして、からんでくる。仲間に「そんなこといったら失礼だろが」などと叱られているほどだ。しかし、いわれればいわれるほど「ここはおれがひいきにしてやっている小屋だ。文句はいわせねえ」などと増長しやがる。そんなに親しくないのに。
おれはカッとして、ほかの登山者の迷惑になるからこれ以上騒ぐと出ていってもらうことになるぞといってやった。すると、奴は血相を変えておれに殴りかかろうとした。
「やれるものならやってみろ」