その男は戸を開けると、そういうんだ。年の頃は30代の半ばでまだ若かった。
普通、登山者にそういわれると、すぐに受けつけをするけれど、そのときばかりはしばらく口を開けられなかったね。なぜかって、そいつの目がとても怖かったんだ。するどいというより、生気がないというのかな。おれはそのとき、直感的にもしかしたら、こいつは人を殺して逃げてきたのではないかと思ったんだ。といっても人を殺した人間の目を見たことはないけれど、もし人を殺したらこれほど冷たい目になれるのではないかってね。まるでヘビのような、爬虫類のような目をしていたといってもいい。
背筋がゾクッとしたものさ。
「だめか……あん?」
そういいながら、だめとはいわせない迫力があった。
「い、いいえ、ど、どうぞ」
「さっきの白い粉はヤクだ」
山小屋は避難小屋も同然だから来る者を拒めないという鉄則もあるけれど、ここで断って暴れられたりすると登山者に迷惑がかかるし、怖いので泊めるしか方法はなかった。そして奥に寝室があるので好きなところを選んで寝てほしいと伝えた。すると、そいつはほっとしたのか傷のある頰を少しゆるめたのがわかったね。
「あ、ん、が、と、よ」
そういうと、男はなぜかいったん、外に出て後ろを向いた。見るともなく見ると、ポケットから小さい袋を出して粉状の薬を飲んでいるんだ。
そいつが部屋に入っていく。廊下を歩いた。戸を閉めた。ふとんに横になった。おれたちは全身を耳にしてその気配を追っていたので、いくら奥の部屋でも行動が筒抜けなんだ。
おれたちは物音を立てずに静かに酒を飲んだ。酒でも飲まないとやってられないものな。そのうちそいつがイビキをかいているのが聞こえ始めた。すると、途端に小声で話が始まり、そのうち酒の勢いもあって「さっきの白い粉はヤクだ」とか、「いや、そう見せて胃腸薬を飲んでいるだけだ」などと、馬鹿な話を始めてしまった。そればかりかだんだん盛り上がってしまって、歌は出るわ踊りは出るわ、ただの酔っ払いの宴会になったんだな、これが。今にして思うと恐怖から解放された勢いだったのかもしれない。ころっとそいつのことを忘れられるおれたちの頭脳構造も、怖いといえば怖い。
ところが、しばらくしていきなりドアがバタンと開いた。見ると、そいつが肩を上下させながら仁王立ちしている。眉間に深いシワが刻まれている。右手を服の左胸に入れて、今にもドスかピストルでも抜くようだ。