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 映画公開の年の8月。『DAYBREAK』で大々的にCD/レコードデビュー。セカンドシングル「秋」そしてサードシングル「TIME ZONE」と、連続して週間チャート1位を獲得する。

「とにかくCMやドラマ主題歌のタイアップが多かった。テレビをつけても街を歩いても男闘呼組が必ずどこからか聴こえてくる。アイドル事務所なのに本格的ロックバンドの技量があった」(同前)

 1988年の年末、日本レコード大賞の最優秀新人賞に輝き、紅白歌合戦に初出場。デビュー1年後の1989年の夏にはできて間もない東京ドームでコンサートを開催。

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「ジャニーズのおちこぼれたち」は、順調に音楽にそして役者業にと邁進しているように見えていた。

 ところが、“終わり”が突然訪れる。

男闘呼組の岡本健一(公式Instagramより)

“男闘呼組の終わり”ジャニーズが突然、高橋和也を解雇

 1993年6月30日のことだ。

「その日は約1カ月のあいだ渋谷パルコ劇場で、4人全員が出演していた舞台『スラブ・ボーイズ』の千秋楽でした。舞台終了後に突然、ジャニーズが高橋和也を解雇したと発表したんです。

 全公演完売していた夏のライブツアーも当然中止になり、ファンはその驚きや悲しさをどこにぶつけていいかわからぬまま1994年にはファンクラブは解散となりました。

 解雇の数カ月後に写真週刊誌では高橋の薬物疑惑や素行不良などが報じられましたが、本人はハッキリ否定。その後はアメリカに“修行”にいっていました」(前出・芸能デスク)

男闘呼組の高橋和也(公式Instagramより)

 男闘呼組の長い「活動休止」のスタートだった。まもなく前田と成田もジャニーズを辞めてほかの事務所に移籍。2021年10月までジャニーズに所属していたのは岡本健一のみだ(現在はエージェント契約)。ちなみに岡本は、長男・圭人が「Hey!Say!JUMP」の元メンバーでもあり現在でもジャニーズ所属だ。

 その後、4人はそれぞれの場で活動を続けた。帰国した高橋は、蜷川幸雄の舞台やNHK大河ドラマに出演する俳優業をメインに。前田耕陽は音楽・役者業に加えタレント業も盛んになり、2006年には関西のワイドショー「なるトモ!」(読売テレビ)の共演をきっかけに海原ともこと再婚し大阪在住になった。