5月6日、英国チャールズ国王の戴冠式が執り行われる。昨年9月に96歳で死去したエリザベス女王は25歳で王位につき、70年間在位した。常に母国を考え、行動してきた女王陛下の波乱万丈とは。君塚直隆氏(関東学院大学国際文化学部教授)が手がけた評伝『エリザベス女王』(中公新書)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
◆ ◆ ◆
ダイアナ事件の衝撃
1997年8月31日の午前1時少し前。バルモラル城の電話がけたたましく鳴り響いた。フランス駐在のイギリス大使からの電話であった。いったいこんな時間になにがあったのか。
前年に皇太子と離婚したダイアナが、恋人で大富豪の御曹司ドディ・アルファイドとパリで自動車事故に遭い、意識不明の重態だというのである。電話を受け取った女王副秘書官はすぐさま女王と皇太子に事情を説明したが、その直後にダイアナとドディの死を知らせる第一報が飛び込んできた。
8月31日はちょうど日曜日だった。女王にとって、ダイアナはもはや「王室の正規のメンバー」ではなかった。それどころか、離婚後もたびたびマスメディアに登場しては王室を蔑ろにしている彼女に、正直不愉快な感情を抱いていた。この日の日曜礼拝もバルモラルで普段どおりに済ませ、いつもの日曜の生活を送っていた女王であった。
女王は沈黙を守り続けた
ところがイングランド北東部のダーラムで、家族とともに日曜礼拝を済ませてマスメディアからのインタビューに答えていたトニー・ブレア首相は違っていた。この年の5月の総選挙で18年ぶりに労働党に大勝利をもたらし、43歳という20世紀では最年少で首相に就任していたブレアは、「彼女は人々から愛された民衆の皇太子妃(プリンセス)だった」と述べ、ダイアナに深い哀悼の意を表したのである。
これとは対照的に女王は沈黙を守り続けた。当時バルモラルに滞在していたウィリアムとハリーへの気遣いから、彼らをマスメディアから遠ざけておくという意味もそこにはあった。しかしそれは、イギリス国民の多くとはかけ離れた考え方だったのである。