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 九州から、京都、静岡と旅してきたふたりは疲れた様子もなく、むしろとても生き生きとしていた。鹿児島で桜を見たり、京都で有名なラーメン屋「本家第一旭」に並んだり、東京に来る前には静岡でクライミングをした話をしてくれた。WBCの大会中に滞在していた東京も地理がわかるようになってきたそうだ。

2人が静岡で愛鷹山と越前岳に登った時の写真(インスタグラムより)

冬はマイナス20度を下回る南ボヘミアで2年間投げ続け

 ノヴァーク投手が昨シーズンまで2年所属していたのは、南ボヘミアにある「ソコル・フルボカー」。エクストラリガ所属のチームで、中国戦で3ランを放ったマルチン・ムジークのほか、今シーズンから市毛孝宗、楢崎塁という2名の日本人投手も所属している。

 フルボカーの街は、世界遺産のフルボカー城で有名だ。近くにはゴルフ場や動物園、そして野球のグラウンドがある。

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「でも、蚊が多いんだ」とノヴァークは笑う。

 スメタナの「我が祖国」で有名なブルタバ川(ドイツ名モルダウ)が流れている南ボヘミア。豊富な水源を利用して、古くから人工池が作られ、鯉の養殖もさかんだ。しかし、冬はマイナス20度を下回るほどの、チェコでもっとも低い気温を叩き出すエリアでもある。

 冬場でなくても、気温の低い日に屋外のグラウンドで投げ続けるのはなかなか身体にくるようだ。昨シーズンは腕の故障に泣いたノヴァークが、九州で温泉巡りをしていたのもさもありなんである。

ムジークが中国戦で放ったホームランボール(ソコル・フルボカーのインスタグラムより)

大学時代にソフトボールをしていた両親がきっかけ

「僕が野球を始めたのは両親のおかげなんだ。2人とも大学時代にソフトボールをしていて、僕が10歳の時にソフトボールサークルに連れて行ってくれた。それから1年後に、僕は地元の野球チームに入った。アイスホッケーは、池でよく友達とアイススケートをしていたくらいであんまり惹かれなかった。サッカーもぜんぜん」

 ノヴァークが「コトラーシュカ・プラハ」という野球チームに入ったのは2005年のことだ。このチームは1980年設立だが、当時は十分な広さのグラウンドがなかったため、野球はジュニアチームのみ。2006年にプラハ6区に野球専用グラウンドが造られ、ジュニアで育った選手たちが野球を継続できる環境が整い、2009年秋にエクストラリガに昇格した。

 ノヴァークはコトラーシュカで野球を覚え、2014年からの2年間、米ボルチモア・オリオールズ傘下のマイナーチームで研鑽を積んだ。2015年秋、コトラーシュカ・プラハは強敵ドラツィ・ブルノを破ってエクストラリガで初優勝を遂げたが、このとき優勝を決めた最終戦でヤン・ノヴァークは完投している。