一九五〇年代から六〇年代初頭にかけて、映画界に狂い咲いた会社が新東宝だ。
その大きな特徴は、扱うジャンルの多彩さにある。時代劇、戦争映画、喜劇、怪談、お色気、憲兵、天皇――面白ければなんでもありともいえるラインナップだった。
そして、新東宝を振返る上で忘れてはならないのが、ハードボイルドだ。裏社会や犯罪者たちの非情な世界を描いたスタイリッシュな作品は、零細会社が低予算で作ったとは思えないほど充実していた。
今回取り上げる『地平線がぎらぎらっ』はその代表作だ。
物語は刑務所の雑居房から始まる。五人の犯罪者たちが仲良く収監されていたが、「マイト」と呼ばれる若者(ジェリー藤尾)が新たに来たことで一変する。マイトは毎晩のように歌い、暴れ、他の面々は扱いに困り果てる。
この手の映画は、個々のキャラクターがどれだけ魅力的に描けているかが作品の面白さを決定づけるのだが、本作はそれが完璧。序盤の段階で囚人の面々の個性が際立つ。
ジェリーの演じるマイトの破天荒な豪快さはもちろん、「教授」の天知茂、大辻三郎の「色キチ」、多々良純の「カポネ」、晴海勇三の「海坊主」、沖竜次の「バーテン」。それぞれに通称そのままのキャラクターとして粒立っており、前半はほとんど房の中だけで展開されるにもかかわらず、彼らのやりとりを見ているだけで楽しい。中でも、珍しく瓶底メガネをかけ、冷静沈着で知的な「教授」ぶりを見せてくる天知がカッコいい。
やがて、彼らはマイトが大量のダイヤモンドを隠していると知ると集団脱獄を決行する。看守の目を避けながらの必死の脱走。モノクロを活かした陰影の強さ。これが見事に絡み合い、緊迫感をもって映し出されることになった。
そして一行は、警察の捜査網をかいくぐりながら、マイトがダイヤを隠したという「地平線がぎらぎらしている場所」へ――。彼らの移動手段が製薬会社の宣伝車というのも効いている。その賑やかな看板や、彼らが身を包む仮装のおちゃらけ具合(チャップリンやピエロ)と、物語の不穏さとの間のギャップが強烈で、作品全体に一筋縄でいかない狂気を作り出していた。
終盤になると彼らは欲に駆られて争い、一人また一人と命を落としていく。といっても、不思議と暗さはない。逃げる途中で祭に参加したり、村人に追いかけ回されたりと大騒ぎなのだ。だが、最後は一転。虚しさが去来する。それは「祭の後」のようだった。
本作の公開から半年後に新東宝は倒産する。そのヤケクソな狂騒は、新東宝という祭の終焉を象徴していたのだ。