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手帳に記した【和田賞受賞】

 NHK放送博物館には、2人にとってゆかりの写真が保管されている。不世出のアナウンサー和田信賢が亡くなったあと、NHKは和田賞を設けて、放送番組の向上に功績のあった職員や出演者を表彰した。昭和29年の第2回の受賞者が宮田輝、高橋圭三の2人だった。

 3月22日の放送記念日に行われた受賞式。ふだんは携帯用のNHK手帳にごく事務的な予定しか記さない輝さんが、この日だけは【和田賞受賞】とわざわざカギかっこを太く塗りつぶして目立つように書きとめている。よほど嬉しかったのだろう。

 その時の写真がある。恩師和田信賢の志をともに受け継ぐ2人。その表情はまるで新人時代に戻ったかのような清新な初々しさを感じさせる。共通の師和田信賢のもとで切磋琢磨していた当時を彷彿とさせる一枚だ。

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昭和29 年、師を顕彰する第二回和田賞を高橋圭三さんとともにそろって受賞。

ライバル一家を救った“輝の芋”

 2人のつきあいは公私にわたった。戦後の食糧事情が悪かったころ、輝さんは茨城の親戚から芋を担いで来ては友人たちに分けた。圭三さんはそのときの思い出を生涯語り続けた。輝さんの没後、追悼の記事の中でも紹介している。

 終戦直後、東京には食糧がほとんどなかった。

 彼は買い出ししたジャガイモやサツマイモをリュックサックに背負って、わたしの家にたびたび遊びに来た。

 そのころ、わたしはすでに結婚していたが、彼は独身だった。

「自分では料理ができないから」

 と言いながら、うちの女房に食事を作ってもらって食べる。

 食べ物がない時代だから、わたしのほうもありがたい。彼には、そういうやさしい面があった。

(「家の光」平成2年9月号)

 のちに圭三さんは子どもたちに言った。

「おまえたちは輝のイモで大きくなったんだぞ」

 芋だけではなかった。圭三さんの長男、高橋了はふりかえる。

「オヤジがよく言ってました。お前は、テルのおかげで生き延びたんだぞって。わたしは昭和20年1月生まれなんです。生まれてまもなく終戦。両親は、わたしの食べるものにそれはもう苦労したようです。そんなとき、宮田さんがわたしのために粉ミルクを手に入れて持ってきてくれたらしいんです。それがどれだけありがたいことだったか。オヤジはよく話してくれましたね」

 激動の時代にあって、同期の高橋圭三の存在は大きな心の支えだったろうし、それは圭三にとっても同様だった。やがてその関係は「アナウンサー」としての2人の歩みにも大きく関わってくる。

 戦後のこの時期、20代後半の輝さんはさまざまな出会いを重ねていく。それぞれがその後の輝さんの人生にきわめて大きな影響を与えていくのである。

写真=日本放送協会、宮田家、文藝春秋写真資料室