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ライバルを救った「テルの芋」とは…昭和の名アナウンサー・宮田輝の“友情物語”《テレビとはあついものなり》

ライバルを救った「テルの芋」とは…昭和の名アナウンサー・宮田輝の“友情物語”《テレビとはあついものなり》

『評伝 宮田輝』#2

2023/05/07

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, テレビ・ラジオ, 昭和史, メディア, 読書

note

 テレビ放送が始まって70年。3月21日に放送されたNHKスペシャル「テレビとはあついものなり~放送70年 TV創世記」は大好評を博し、5月7日にBSで特別版が再放送されることに。タイトルの「テレビとはあついものなり」は、主人公、宮田輝アナウンサーのメモに残っていた言葉。草創期のスタジオの照明はそれだけ熱かった。

 この貴重なメモを宮田家で発見したのは、後輩の現役アナウンサー、古谷敏郎氏。そのようすは古谷氏の著書『評伝 宮田輝』(文藝春秋)に詳しく書かれている。ドラマの軸のひとつでもある同期の高橋圭三アナウンサーとの友情物語を、ここに公開する。(全2回の2回目/最初から読む

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 輝さんの2年先輩にあたる藤倉修一は昭和28年から1年半、イギリスBBCの日本語部に出向したとき、当地でリチャード・ディンブルビーという司会者に出会った。

 芸能番組からニュースキャスター、王室関係の実況まで務めるオールラウンドの人物で、藤倉は何より彼の「品格とゆとりのある司会ぶり」に感銘を受けた。

 帰国すると早速同僚たちと相談して「音楽・演芸司会班」という自主勉強会を立ち上げた。アナウンサーの司会の可能性を模索するという意欲的な取り組みで、藤倉を班長にメンバーは輝さんをはじめ、高橋圭三、木島則夫、小川宏、八木治郎、当時まだ若手の鈴木健二といった顔ぶれだった。

 その席で輝さんの熱心さがひときわ印象的だったとふりかえる。

「宮田君は非常な努力家でした。アナウンサー仲間の研究会の席で、『相撲は立ち上がると30秒かからないで勝負は決まるが、そこには日ごろの稽古の成果が表れる。司会も同じですね』と語ったのをよく覚えています」(「週刊読売」平成2年8月5日号)

もう一人の傑出したアナウンサー

 そしてもう一人、藤倉に強烈な印象を与えたのが高橋圭三だった。

「2人は同じ昭和17年(12期)の入局で、後輩の中でも傑出したアナウンサーでした。よくまぁ同じ期にこれだけの人間が2人もそろったものだと思います」(同前)

宮田輝さんと高橋圭三さん。戦後絶大な人気タレントとなった二人は、そろってメディアに登場することも。

 昭和26年からスタートした「紅白歌合戦」の第1回、2回の白組司会を務めたのが藤倉だった。その後BBC出向中にエリザベス女王の戴冠式中継などを担当。

 藤倉が不在のあいだの第3回「紅白」の白組司会を務めたのが輝さん、第4回が高橋だった。入局以来、彼らの仕事ぶりには注目していた。

「高橋君が天才肌の都会派だったのに対して、宮田君は地道な努力家で、農村的なタイプ」(「戦後50年ライバル物語」「サンデー毎日」平成7年2月5日号)

 藤倉によれば、「自然ににじみ出てくるようなユーモア」が輝さんの持ち味だとすれば、圭三さんのそれは「目から鼻に抜けるような当意即妙さ」にあるという。

 仕事に恵まれ、そのチャンスを活かす努力も欠かさなかった輝さん。併せてタイプの違う良きライバルとの出会い。ここにも輝さんの運の強さがある。