こうした悪化は、残念ながらめずらしいことではありません。同居している家族やパートナーがいる場合には、その苦しみが暴力という形になり、大切な人を傷つけてしまうこともあります。
こころが強靭だという人は稀です。誰もが繊細さを兼ね備えていて傷つくもの。そうであるからこそ他者の痛みにも共感し、相手を思いやることができ、そこにコミュニケーションが生まれます。
ただ、こころの傷みを溜め込んでしまうと、「誰も自分を理解してくれない」「この苦しみは誰にもわかりっこない」という思いに駆られ、他者とのコミュニケーションを拒むようになります。
誰かを求めたいのにできない──そのこころの傷みを目に見える優劣に置き換えて、見える部分を必死に治そうとするのです。見た目さえ良ければ愛されるはず。身体醜形症の人は、そう考えることによって心身のバランスを何とか保とうとしているのかもしれません。
本人に自覚がない場合もある
「もっと自分が男前だったら何でもうまくいくはずだ」と本気で思っている場合もあります。もちろん、自分が身体醜形症かもしれないというような自覚はまったくありません。
幼い頃に受けたこころの傷、トラウマのせいで、こころの成長が充分でないために「こんな顔に生んだ親のせいだ」と親を責めつづけることもあります。美容整形で顔を治しさえすれば、自分の問題がすべて解決すると信じて疑わないのです。
まずは、自分が「苦しんでいるんだ」という事実に気づくこと。そして、その苦しみから脱却したいと願うこと。これが回復への最初の一歩であることは間違いありません。
確実に有効な薬物療法はない
最初にはっきりお伝えしておくと、身体醜形症そのものに対して確実に有効な薬物療法というものはありません。
ひと言で身体醜形症といっても、その悩みの質や症状の出方はさまざまです。
「自分が醜い」という強い「とらわれ」があるという点では共通していますが、身体のどこかに慢性的な痛みやめまいなどがともなう身体表現性障害に近い症状の方もいれば、不安症や強迫症のように不安感や恐怖感が強く出る方もいます。
最近では、「生きている意味がわからない」「存在する価値が見いだせない」「何も信じられない」という気持ちに苦しむ患者さんも増えています。