「あのときは心底、ほっといたしました」
そう語るのは順子ママである。
「のり平さんのいたずら心だったと思いますが、名も知れぬ銀座の女がいきなり大女優の楽屋に押しかければ、“あなた誰?”と気分を害されてもおかしくないのです。笑ってその場をおさめてくださった森光子さんの包容力に、私は救われました」
それから10年後の1975年。順子ママは、森光子と再会することになる。
「姫」から独立し、1966年に開店したクラブ「順子」はたちまち銀座でも1、2を争う人気店となり、1974年に俳優・和田浩治と結婚した順子ママは芸能人並みの知名度を誇るようになった。なお順子ママは1975年「長者番付」(高額納税者ランキング)の銀座ママ部門で3位にランクインしている。
「前にお会いしてますよね」「私の隠し子なんでしょ?」
そんな折、ワイドショー番組の先駆けともいえる『3時のあなた』(フジテレビ系)が、順子ママに出演のオファーをかけた。当時、この番組の司会をつとめていたのが森光子だった。
出演が決まった順子ママは、収録前に森光子の控室を訪ね、頭を下げた。
「田村と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
すると、森光子は間髪を入れずに少し高い声を出した。
「前にお会いしてますよね」
順子ママが驚いて顔を上げると、森光子が笑って言った。
「私の隠し子なんでしょ?」
この日のことを、順子ママが振り返る。
「10年前、芸術座の楽屋でお会いしたときには挨拶らしいやりとりもなく、ただ『似てるわね』と言われただけでした。日々、新しい仕事に取り組み、10年間も芸能界の第一線で多忙な日々を過ごしてきた森光子さんが、一介のホステスに過ぎなかった私と会ったことを覚えていて、自分からそれを切り出されたことに本当に驚きました。そして、なぜ森光子さんが大女優と呼ばれ周囲から尊敬されていたか、このときはっきり分かったのです」
一度会った人間のことを忘れない――それは、相手に対する信頼と愛情のあらわれでもある。だが「水商売の女」と低く見られることも多かった銀座ママに対し、日本を代表する女優がそれを実践するのは当時、珍しいことだった。