「すごい写真集、見たわよ。素敵じゃない?」
順子ママが森光子と最後に言葉を交わしたのは1981年、あるパーティ会場でのことだった。『3時のあなた』出演から6年ほど経過していたが、このとき順子ママは再び森光子のもとに歩み寄った。
「以前、番組に出演させていただきました田村でございます。その節は……」
すると、その言葉を遮るように森光子が言った。
「あなた、写真集見たわよ」
「ええっ?」
森光子は、視線を床に落とすと得意げに言った。
「すごい写真集、見たわよ。素敵じゃない?」
あっけにとられる順子ママの表情を、面白そうに眺める森光子。6年間の「ブランク」は一瞬で消え去った。
この年、順子ママは夫の和田浩治が撮影した写真集を出版していた。セミヌードもありの「話題作」ではあったが、主に男性向けの商品で、大女優が関心を示すような種類の写真集ではない。だが、なぜか森光子はその写真集を「見た」というのである。
「このときも1本とられました」
順子ママが語る。
「なぜ森光子さんが写真集を目にしていたのかは分からないのですが、会場にはたくさんの方がいらっしゃいましたし、私に話を合わせていたわけではなく、本当に見ていただいていたのだと思います」
実はこの当時、順子ママを森光子に引き合わせた三木のり平が『放浪記』の演出を担当するようになっていた。また、森光子は1968年放送のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』で順子ママの夫である和田浩治と共演している。
どこかで三木から写真集の話を聞かされていた可能性は高いと思われるが、自ら先手を打って「見たわよ」と切り出す森光子の返しは百戦錬磨の銀座ママをもうならせるものだった。
「銀座ママは酒場の女主人に過ぎない、というのが私の師である山口洋子ママの考えでした。プライドを高く持ちすぎたり、他者からの評価を求めてはいけないという意味で、私のなかにはその教えがずっと心のなかにありました。ですから、日本を代表する女優の森光子さんが、本当の娘に接するように私に話しかけてくださったことが、本当に心に染みたのです」
「日本のお母さん」として親しまれ、89歳まで『放浪記』の主演をこなした森光子は2012年、92歳で死去した。「生涯女優」を体現したその鮮やかな生きざまは、いまも色褪せることはない。
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