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 今泉自身も「中学時代は1年生の冬から3年生になる直前までまったく学校に行っていなかった」という。中学3年生の時は、“特別授業”という他の生徒とは別の教室で1人だけでの授業を受け、卒業した。

 不登校の時は何をしていたのかを聞くと、「ほとんど外にでることもなくて、ずっと家の中にいました」とはにかむ。今の彼女には、かつて不登校だったとは信じられないほどの明るさがある。元気で、よく喋る。

入学当初は比較的おとなしい生徒だった

 高校進学を希望していた今泉が母とともに福井南高校のオープンキャンパスに訪れたのは中学3年生の冬だった。1学年が80名、1クラスは30名未満。学年すべての生徒の顔と名前を覚えることができる生徒数の少なさが今泉を安心させた。教師との距離感の近さも気に入った。また、自分と同じような不登校の生徒が少なくないことも福井南高校を選んだ理由でもあった。

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 中学時代の不登校が嘘のように、今泉は高校へ通った。それでも、入学当初は周囲と気軽に打ち解けるようなタイプではなく、比較的おとなしい生徒だった。

 そんな生徒が職員室に入って来るなり、「(原子力について)自分たちも皆と一緒に考えていきたい」と言って来た。浅井は、内心、非常に驚いた。自ら積極的に話すような子ではなかった今泉が、前向きに人と関わろうとしていることが嬉しくもあった。

今泉友里さん(写真右)

今泉の動きに教師らも応える

 今泉の相談を受けた浅井は思案する。自らが受け持つ「現代社会」の授業で今泉に発表させるという方法も考えた。しかし、福井県は15基もの原発を抱える原発立地県であること、それに教え子が初めて目を向けようとしていることを考え、一教科を越えて広く知らしめ訴えた方がいいと考えるようになった。そこで、浅井が今泉に提案したのは、教員も巻き込んだ「教科横断型」の授業での発表だった。

「お前からまず理科の先生とかに頼んでみたらどうか」これは浅井が今泉に授けた秘策だった。浅井は、教員が生徒に頼まれると動かざるを得ないことをよく理解していた。今泉の動きに教師らも応える。最後には校長までが参加しての授業となる。

 まず今泉が取り上げたテーマは先にも触れた「地層処分」だった。映画『日本一大きいやかんの話』では「地層処分」について製作者である高校生らと専門家との間のこんなやり取りが行われている。

「原発の問題として使用済燃料の保管の問題があります」