「私もみんなと考えたい」
『日本一大きいやかんの話』との出会いは今泉にとって大きなショックだった。福井という原発立地県に住んでいる自分は原子力は難しいものと決めつけ、これまで考えることすらしてこなかった。
それなのに原発から遠く離れた地に住む東京の、自分と同じ高校生たちがあれほどまでに原発について考え、行動し、向かい合い、その過程を映画にまで昇華した姿勢に感銘を受けた。とりわけ映画の中でも取り上げられていた「地層処分」に今泉の関心は向いた。
「地層処分の勉強会をぜひやりたい」今泉の思いに応えた浅井
地層処分――。原発で使われた「使用済み核燃料」、つまり原発から出される“ゴミ”は、高レベルの放射性物質を出す廃棄物のため特殊な方法で処理される。最終的に処理された“ゴミ”は地中深く埋設される。放射能が人体に影響がないレベルまで低下するのにはおよそ10万年かかるとされている。
日本にはまだ「高レベル放射性廃棄物」の埋蔵を受け入れる自治体はない。現在は青森県六ケ所村にある「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」にあくまで一時的に管理を委託しているのが現状である。
「原発から“ゴミ”がでることさえも知らなかった」という今泉は、「地層処分の勉強会をぜひやりたい」と訴えた。今泉のこうした思いに応えたのが教員の浅井だった。
今泉を始め、原発に向き合う福井南高校の生徒らの物語を紡ぐ時、高校の存在はもちろんだが、それ以上に生徒にとって大きな存在だったのが浅井である。浅井の存在無くして、生徒らの物語は存在しなかったとさえいえる。浅井のストーリーは、また別の項で詳細に記していきたい。
中学時代は不登校でまったく学校に行っていなかった今泉
昭和37年に「福井きもの学院」として花嫁修業の場として開校された同校が「福井南高校」として生まれ変わったのは平成7年のことだった。全日制の高校としては、校庭が十分な広さを確保できなかったことなどから、定時制の高校としてスタートした。とはいえ、問題になったのは校庭の広さだけで、カリキュラムなどは一般の高校と変わることはなかった。
ここ数年の同校に特徴的な取り組みが、中学時代に“不登校”だった生徒の受験、入学である。取り立ててそれを謳い文句にしたわけではなかったが、そうした生徒らが多く在校するのも福井南高校の特色でもある。卒業生のうち半数以上が就職する福井南高校では、生徒の自発性、思いの具現化を最優先するような校風が培われていた。