中国空母〈遼寧〉の南シナ海への進出を牽制せよ
そのミッションは不確定要素に溢れていた。そして、肉体的な危険と職業上の危険に満ちていた。
表向き、それはシンプルなミッションに見えた。中国海軍の空母〈遼寧〉が南シナ海の公海上で初めての空母特別部隊演習をおこなうため、海南島の港から出撃しようとしていた。ハワイに司令部を置く太平洋艦隊と日本に司令部を置く第七艦隊の上層部は〈カウペンス〉に、〈遼寧〉とその護衛艦を追尾し、その運用方法や航空機の発着艦を観察して性能を探り、情報を収集せよと命じた。
〈カウペンス〉ならその命令を難なくこなせるだろう。〈カウペンス〉の電子機器は旧式かもしれないが、〈遼寧〉が発する電磁波をキャッチし、無線通信を傍受することはできる。〈カウペンス〉に搭載されているシーホーク・ヘリコプター2機は、飛行甲板から飛び立って〈遼寧〉の付近でホバリングし、映像や写真を撮影したり状況をモニターすることができる。
こうしたオペレーションは、世界中の海軍が他国の艦艇に対しておこなっている。ただし、それを何と呼ぶかは場合によって違う。基本的なルールは、「我々がやる場合は情報収集。他の奴がやる場合はスパイ行為」。だが、公海上でおこなわれる限りは、それは国際法に照らして完全に合法的な行為だし、慣例として昔から受け入れられてきた。
だが、〈カウペンス〉のミッションは、単に中国空母に対して情報収集活動(ないしはスパイ行為)をおこなうことではなかった。そこには政治的目的もあった。南シナ海への〈遼寧〉の進出は、その地域における中国海軍のプレゼンスのさらなる増大を意味する。中国海軍のこのプレゼンスに、アジア太平洋地域のアメリカの友好国及び同盟諸国は心底恐怖を感じている。フィリピンもインドネシアもオーストラリアも日本も韓国もタイも台湾もマレーシアも、さらには社会主義国であるベトナムさえもが、中国海軍が南シナ海のみならず西太平洋全域に活動範囲を拡大していることに深い懸念を抱いている。そして、アメリカがそれにどう対処するつもりかを知りたがっている。だから、〈カウペンス〉の第2のミッションは、アメリカの関与を鮮明に示し、アジア太平洋地域の同盟諸国やその他の国々を安心させることだ。〈遼寧〉の近くに姿を見せることで、「保安官(アメリカ海軍)は今でも街にいる」とみんなに知らせるのだ。
これも、〈カウペンス〉には難なくこなせそうだった。ただ、今回、深刻な事態を引き起こす可能性のある事情が2つあった。
世界第2の海軍国、中国のシンボルである〈遼寧〉
まず、〈遼寧〉は中国海軍にとってただの空母ではなく、中国海軍“唯一”の空母だ。中華人民共和国と人民解放軍海軍の歴史上初の空母なのだ。〈遼寧〉は中国国民の誇りであり、「強大な海軍国となった中国は、いよいよ世界の舞台に乗り出すぞ」という宣言なのだ。過去10年の間に、中国はすでに軍艦の総トン数ではアメリカに次いで世界第2の海軍国になったし、現在、空母を除けば、西太平洋地域ではほぼ間違いなくアメリカと肩を並べる海軍力を保持している。新たな空母計画によって、中国は、太平洋地域の支配的海軍国になるための長期計画に着手しようとしている。
中国政府にとって〈遼寧〉は単なる船ではない。それはシンボルなのだ。
そして、そう感じているのは中国政府だけではない。アメリカの空母の名前を一つでも言えるアメリカ人はあまり多くないだろうし、その艦長の名前に至ってはほとんどの人が一人も挙げられないだろう。だが、中国では10億人以上の国民が〈遼寧〉という艦名と、その艦長の名前「張崢」を知っている(ちなみに、張艦長の妻は上海電視台で朝のトークショーを担当している人気司会者だ)。〈遼寧〉の甲板員がジェット機の発着艦をサポートする映像が中国のテレビ番組で紹介されると、片膝をついて腕を振るそのポーズを真似た「空母スタイル」ダンスが、「江南スタイル」に代わって中国の若者のソーシャルメディアを席巻した。
つまり、中国国民にとって〈遼寧〉は国の宝であり、その艦長はロックスター並みの人気者だということだ。公海上でアメリカの軍艦が挑発的な態度で接近したりして、この中国の宝が侮辱されたら(もしくは、侮辱されたと中国国民が感じたら)、ただでは済まないだろう。