〈遼寧〉から半径45キロ圏内を「航行禁止」と宣言した中国
〈カウペンス〉とそのミッションには、さらにもう一つ複雑な事情があった。〈遼寧〉とその護衛艦を西側の好奇の目から保護しようとして、中国政府は航行中の〈遼寧〉から半径45キロメートル圏内を「航行禁止」海域に指定していた。〈遼寧〉の艦長の許可がなければ、船舶及び航空機は軍用・民間を問わずこの航行禁止海域へ立ち入ることはできない、と宣言したのだ。〈遼寧〉の艦長がアメリカの軍艦に立ち入り許可を与えるはずはない。
まったく言語道断な話だった。
たしかに、アメリカの空母打撃群も航行中は航行禁止海域を指定する。漁船の底引き網に進路を妨害されたりしては困るからだ。そこで、空母の艦長は、空母打撃群から数キロメートル離れていてくださいと他の船舶に丁重に申し入れる。
だが、中国は立入禁止海域をまったく新しいレベルに持っていこうとしている。45キロメートル圏内だって? それでは水平線の彼方だ。中国は事実上、公海上で6000平方キロメートル以上もの範囲にわたって主権を主張しようとしているのだ。その主張は、国際海洋法にも航行の自由の原則にも違反している。かつて7つの海を支配していたイギリスでさえ、そのような暴挙に出たことはない。こんな主張がまかり通れば、中国海軍はいずれ、日本海や台湾海峡でも同じように6000平方キロメートルの航行禁止海域を主張してくるだろう。ついでに言えば、アメリカ西海岸沖の、アメリカの領海すれすれの太平洋上でも同じ主張を展開するかもしれないのだ。
経済活動にとって非常に重要な南シナ海を独占しようとして、中国はこれまで、アメリカを含む諸外国に対して数々の敵対的行動を取ってきた。今回の航行禁止海域指定も、実は単にその一環に過ぎない。中国は、南シナ海を中国の湖に変えようとしている。〈カウペンス〉を南シナ海へ派遣し、〈遼寧〉に異議申し立てをすることによって、アメリカ海軍は中国に、「アメリカはそんなことは認めない」と宣言しようとしているのだ。
米海軍内での対中融和論と強硬論の対立
とにかく、それが海軍の公式の姿勢だった。だが実は、ハワイの太平洋軍司令部やペンタゴンの意志はそこまで固いわけではなかった。アメリカの軍艦が航行禁止海域を無視して迫ってくるのを見たら中国側がどんな反応を示すか、結局のところ誰にも分からなかったからだ。たしかに、海軍は中国に航行禁止海域を撤回させ、航行の自由というルールを尊重させたいとは思っている。ナーバスになっている西太平洋地域の同盟諸国に、アメリカが中国に歯止めをかけようとしていることを示したいとも思っている。だが、関与を示すためにアメリカはどこまでやるべきなのだろうか。
この問題をめぐっては、海軍及びペンタゴン背広組の最高幹部の中で意見が2つに分かれていた。それぞれの派閥は相手にあだ名を付けていた。中国に対して融和的で控えめな態度を取ろうとする派閥は、「パンダ・ハガー(パンダ好き)」と揶揄(やゆ)されていた。アメリカの海軍力を見せつけてアグレッシブに対応しようとする派閥には、「ドラゴン・スレイヤー(竜殺し)」というあだ名が付けられていた。〈カウペンス〉が南シナ海へ向けて出港したとき、パンダ・ハガー対ドラゴン・スレイヤーの論争はまだ決着がついていなかった。
その結果、ゴンバート艦長は、融和派と強硬派の双方の意見が入り混じった、曖昧さの見本のような命令を受け取ることとなった。中国側の言う半径45キロ圏内の「航行禁止海域」を無視して〈遼寧〉に接近せよ、だが同時に、「緊張緩和的な姿勢」を保つべし、と命じられたのだ。5キロメートル以内にまで〈遼寧〉に接近せよ。ただし、接近しすぎてはならない。1.5キロメートル以上の距離を保つこと。〈遼寧〉の艦長と無線で連絡を取る場合は、毅然とした断固たる態度で臨むこと。ただし、「誠実かつ丁重に」対応すること。彼らを怒らせないように注意すること。
要するに、ゴンバートが受け取った命令とは、「〈カウペンス〉と乗組員を率いて危地へ赴け。ただし、そこで厄介なことを起こさないでくれ」ということだった。
2013年12月のその日、グレッグ・ゴンバート艦長が南シナ海で直面していたのはこのような状況だった。老朽化した船と経験不足の乗組員を率い、玉虫色の命令を携えて、尊大で予測不能な敵の待ち受ける危険な水域へとたった一隻で向かっているのだ。
そして、このミッションの結果が、太平洋が今後も「アメリカの海」であり続けられるかどうかを決めることになるかもしれないのだ。
(翻訳:赤根洋子)