文春オンライン

「小中高と、学費は自分で払ってました」北海道から浅草に転校、修学旅行先で騒がれた…さくらまや(24)が語る、天才演歌歌手になるまで

さくらまやインタビュー#2

2023/05/27

genre : エンタメ, 芸能

note

修学旅行先で騒がれると、みんなで守ってくれた

さくら これがすぐになじめちゃったんですよ。浅草の小学校で出会って、ずっと仲良くしている友人がいるんですけど、ガキ大将というか、けっこうヤンチャな性格で。で、その子が「校長室に呼び出されて、校長先生から『今度こういう子が転校してくるからなにもするなよ』って釘を刺されたんだよ」って教えてくれたんです。

 これは卒業してだいぶあとになって聞かされた話なんですけど、学校のほうでも配慮してくれていたんだなって。おかげで、ほんとうにのびのびとした学校生活を送れましたから。その友人には「迷惑かけたね」と言いました。

 いじめなんかもまったくなかったですね。修学旅行先で「あれ、さくらまやじゃない?」なんて騒がれたりすると、みんなで守ってくれたくらいだったし。

ADVERTISEMENT

ーー東京ではお母さんと一緒に暮らしていたのでしょうか。

さくら そうですね。姉も頻繁に来てくれてました。姉とはけっこう仲が良くて、大学生になった姉が休みになると、その間じゅう東京にいてくれて。7歳も離れているから、もうひとりの母って感じで。

ファンの方から貰ったのはおひねりではなく…

ーー「大漁まつり」でブレイクされるわけですが、当時のスケジュールはどういった感じだったのでしょう。

さくら 普段の日だったら、放課後から仕事でした。あとは土日と夏休みとかにやっていましたね。小学生だったので、働く時間の制限もあって、すごく苦しかったというのはあまりないんですよね。事務所も学校の行事には参加できるように予定を組んでくれていたので。もしも不満があったとしたら、私の性格からいってすぐにやめていましたね。

 ただ、歌うのは大好きだったけど、しゃべるのは得意ではなかったので、トーク番組のお仕事が入ると不安になったりしていました。

ーー“おひねり”は投げられました?

さくら 子供だったからなのか、おひねりよりも食べ物系のほうが多かったです。デビュー曲が「大漁まつり」だったので、漁港とかお祭りを回らせていただいていたんですけれど、そこで大きい牡蠣をいただいたり。あと、私は読書が大好きなので「これで本を買って勉強しなさい」とファンの方から図書券をよくいただいていましたね。

ーー夏休みにツアーに出ると、宿題を終えるのが大変だったのでは。

さくら 夏休みの宿題は先生との戦いだと思っていて、休み前に範囲を予測して早々とやっていました。でも宿題が終わって安心しきって、日記を忘れちゃうんですよ。最終日に「あっ」となって、ガーッと書いていました。四苦八苦していたのは、日記と自由研究くらいですね。