文春オンライン

「覚醒剤以外の楽しみもあると伝えたい」かつて“シャブ極道”として名を馳せた元ヤクザが「薬物の更生支援」を始めた理由

『西成で生きる』 #2

2023/05/21
note

「ワシは鹿児島でヤクザしとって、22で大阪に来たんですよ。最初からヤクザするつもりで来ましたからね。その中で自分がどうしたら一番生き残れるかということを考えた時に、普通の人ならミナミなどに大きな兄貴分つくったりするんでしょうけど、ワシはせえへんかったんです。尼崎に関西護国団という組があって、そこの谷田哲雄と私が知り合って。それが縁で組には属さず、兄・弟の関係に。俗にいう出先の舎弟となりました」

――それから山口組系の太田興業に移籍したんですね?

「ワシが舎弟になった谷田という親分と太田の親分が兄弟分だったんですよ。それで揉めた時に谷田が太田に行くというときに護国団は手を出すなちゅうことで、それで谷田は相談役で行ったんですよ」

ADVERTISEMENT

本を書いたことで山口組を破門に

――太田興業では何年くらいヤクザやったんですか?

「短いですよ。すぐ舎弟になりましたからね。親分自体は昔から知っていたんですよ。頭で舎弟やっとったから。舎弟で推薦されたんですわ。太田の枝の若い衆から舎弟になることはまずなかったですから。そんな聞かないですわ」

――それから懲役に行くわけですよね。カタギになったきっかけっていうのは?

「『実録シャブ屋』という本を書いたということでね。私が50人くらい人を増やしたし、本も出したし名前も売れて。だけどそれで破門されたんですよ。山口組はマスコミに出たらいかんという名目で。いまはけっこう出てるやないですか」

――さすがに現役は匿名ですけど、ヤクザを辞めた人間はけっこう出ていますよね。

「私は本名で出ていましたからね。辞めてそれから栃木に行ったんですよ。破門になったチラシも回っているし、もうヤクザではないということで仮釈はもらえていたんでね。

 栃木県に別れた女房がいたので、彼女が身元引き受け人になってくれて。それで栃木に行きました」

――それからカタギですか。

「ヤクザしましたよ。どこの街でもしたらあかん、だけど最後は自ら看板下して所払いという形で栃木は出ましたね」

――そのときの木佐貫さんの肩書きは何なんですか。太田興業じゃないですよね?